「江川卓 (野球)」の版間の差分

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江川の高校生活最後の大会となる10月14日開幕の[[第28回国民体育大会|千葉国体]]では、1回戦で[[第55回全国高等学校野球選手権大会|同年夏の甲子園]]優勝校である広島商と激突、被安打2、17奪三振で、1対0の完封勝ち。[[第45回選抜高等学校野球大会|春の甲子園]]で敗れた雪辱を果たすとともに、改めて江川の実力を証明してみせた。準決勝の[[静岡県立静岡高等学校|静岡高]]戦では、被安打4、11奪三振で無四球完封勝利。[[第55回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]で敗れた銚子商との再戦となった決勝戦でも先発したが、2回を投げて被安打2、2奪三振、自責点1で降板。江川に勝ち負けは付かなかったが、後続の投手が打たれて2対3で敗れ、銚子商に一矢を報いることは叶わず、作新学院は準優勝となった。結局、江川は高校時代に全国制覇を経験することができなかった。
 
[[1973年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1973年秋のドラフト会議]](11月20日開催)で[[上田利治]]新監督率いる[[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]から1位指名を受けるが、入団を拒否する。[[慶應義塾大学]]法学部政治学科を受験するも不合格だったため、[[法政大学]]法学部第二部法律学科に進んだ(のちに一部へ転籍)。江川が慶應義塾大学受験に失敗した事実はニュース速報として報じられ、大きな話題になった。江川は不合格について「日本史で、過去の出題傾向から明治以降を完全に捨ててかかったら、その年に限って近代史の問題が多く出題された」と分析している<ref>『たかが江川されど江川』(新潮文庫版)pp.60-61</ref>。一方で、「江川を入学させると裏口入学だと騒がれる」という思惑から「例年なら野球部セレクションによる加点があるはずが、この年に限って加点が行われなかった」という説もあり、実際、この年は[[堀場英孝]]、[[中尾孝義]]など慶大志望の他の有力選手の中にも不合格者が相次いだ<ref>『たかが江川されど江川』(新潮文庫版)pp.56-58</ref>。現在では、江川が進学した法政大学と慶應義塾大学の偏差値の差を考えれば単に学力が及ばなかっただけと見る向きが一般的である
 
=== 法政大学時代 ===
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