「アロイス・ハーバ」の版間の差分

 
[[1945年]]、5月5日劇場のオペラ団監督(~49年)及び[[プラハ芸術アカデミー]]教授(~61年)に就任。[[1948年]]、[[チェコスロバキア共産党]]を中心とした政権が発足するとハーバは一転して迫害の対象となり、彼が設立した微分音学科すら廃止されてしまう。この状態は[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の死([[1953年]])により[[名誉回復]]されるまで続いた。
 
のちに微分音の創作に復帰するが、かつての微分音同人からは嫌われていた「五分音」のために弦楽四重奏曲第16番を作曲している。この珍しい微分音システムはヨーロッパ、ロシア、アジア、アメリカでもほとんど例がない。
 
==作風==
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