「フェルッチョ・ブゾーニ」の版間の差分

当時は演奏に編集の手を加えることが不可能だったので、ブゾーニも[[ヨゼフ・レヴィーン]]と同じく録音を嫌がった。それでも数点の音源が遺されており、驚異的な演奏技巧を伝えている。中でも《[[超絶技巧練習曲]]》第5番「鬼火」や、《[[ハンガリー狂詩曲]]》第13番は、自らの編曲したものを{{仮リンク|蝋管|en|Phonograph_cylinder}}に録音しており、いずれも劣悪な音質にもかかわらず、ブゾーニの遺した最も秀逸な音源の一つに数えて差し支えない。
 
=== ブゾーニ国際ピアノコンクール ===
「[[ブゾーニ国際ピアノコンクール]]」が[[1949年]]よりイタリアの[[ボルツァーノ]]で行われている。彼はトリエステ<ref>この都市ではかつて国際作曲コンクールが行われていた。現在は室内楽のコンクールが継続されている。</ref>で幼少時代を過ごしておりこの都市とは縁がないが、第一次大戦前には[[オーストリア]]に属し現在でも多くのドイツ語人口を抱える南[[チロル]]の都市にとって、彼はドイツとイタリアの文化の融和を象徴するのに最適な存在とみなされた。
 
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