削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
2行目:
{{日本の寺院
|名称 = 東寺
|画像 = [[ファイル画像:Toji 2015.JPG|280px]]<br />
|所在地 = [[京都府]][[京都市]][[南区 (京都市)|南区]]九条町1
|位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|34|58|49.3|N|135|44|51.7|E|type:landmark_region:JP-26|display=inline,title|name=東寺}}
14行目:
|中興年 =
|中興 =
|正式名 = 金光明四天王教王護国寺秘密伝法院<br />宗教法人公称:教王護国寺<br />正式名別称:弥勒八幡山総持普賢院
|別称 = 左大寺
|札所等 = [[真言宗十八本山]]第9番<br />[[西国愛染十七霊場]]第8番<br />[[洛陽三十三所観音霊場]]第23番<br />[[京都十三仏霊場]]第12番<br />[[都七福神]](毘沙門天)<br />[[神仏霊場巡拝の道]] 第84番<br />[[京都十二薬師霊場]]第2番
|文化財 = 金堂、五重塔、御影堂、蓮花門<br />絹本著色真言七祖像、不動明王坐像ほか(国宝)<br />世界遺産
}}
{{mapplot|135.747694|34.980361|東寺}}
42行目:
中世以後の東寺は[[後宇多天皇]]・[[後醍醐天皇]]・[[足利尊氏]]など、多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えた。[[文明 (日本)|文明]]18年([[1486年]])の火災で主要堂塔のほとんどを失うが、豊臣家・徳川家などの援助により、金堂・五重塔などが再建されている。何度かの火災を経て、東寺には創建当時の建物は残っていないが、南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままである。
 
昭和9年([[1934年]])[[3月13日]]に史跡に指定<ref>{{Cite web
|title = 東寺・西寺・羅城門
|date = 2013年5月25日号
|publisher =( ) 京都市埋蔵文化財研究所
|url = http://www.kyoto-arc.or.jp/News/s-kouza/kouza245.pdf
|format =PDF PDF
|accessdate = 2015-09-22
}}</ref>、平成6年([[1994年]])12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。
 
== 伽藍 ==
[[画像:Toji - Golden Hall.JPG|thumb|240px|東寺金堂]]
 
[[ファイル画像:TojiKyoto -Toji GoldenKodo HallC0929.JPGjpg|thumb|240px|東寺堂]]
[[ファイル画像:Kyoto Toji Kodo- Five-storied C0929Pagoda.jpgJPG|thumb|240px|東寺講堂五重塔]]
[[ファイル画像:Toji Tou-ji Five-storieddaishidou Pagoda.JPG|thumb|240px|五重塔御影堂(大師堂)]]
[[File画像:Yakushi-nyorai.jpg|thumb|180px|金堂薬師三尊のうち薬師如来像 台座下に十二神将像の一部がえる]]
[[ファイル:Tou-ji daishidou Ⅲ.JPG|thumb|240px|御影堂(大師堂)]]
[[画像:Lecture Hall Toji Five Great Bosatsu.JPG|thumb|180px|五仏(講堂安置)のうち大日如来と阿弥陀如来(手前)<!--ファイル名は「五大菩薩」となっているが誤り。-->]]
[[File:Yakushi-nyorai.jpg|thumb|180px|金堂薬師三尊のうち薬師如来像 台座下に十二神将像の一部がみえる]]
[[File画像:LectureGozanze HallMyoo Toji Five Great BosatsuKodo.JPGjpg|thumb|180px|五大明王(講堂安置)のうち大日如来と阿弥陀如来(手前)<!--ファイル名は「五大菩薩」となっているが誤り。-->降三世明王]]
[[File:Gozanze Myoo Toji Kodo.jpg|thumb|180px|五大明王(講堂安置)のうち降三世明王]]
 
=== 金堂 ===
国宝。東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年([[823年]])までには完成していたと推定される。当初の堂は文明18年([[1486年]])の[[土一揆]]で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。現存の建物は[[慶長]]8年([[1603年]])、[[豊臣秀頼]]の寄進によって再建したもので、奉行として[[片桐且元]]が任にたった。入母屋造本瓦葺きで、外観からは二重に見えるが一重裳階(もこし)付きである。建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用され、貫や挿肘木を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られる。内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されている。
* 木造薬師如来および両脇侍像(重要文化財) - 金堂本尊。中尊の像高2.88メートル、台座と光背を含めた総高は10メートルに達する巨像で、中尊の光背には七仏薬師像を配している。台座の懸裳の下には薬師如来の眷属である十二神将像が配されている。仏師[[康正 (仏師)|康正]]の作で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作である。薬師如来像が左手に薬壺を持たず、坐法が左脚を上にする降魔坐である点、台座を古風な裳懸座とする点などに復古的要素が伺える。
 
=== 講堂 ===
重要文化財。金堂の背後(北)に建つ。東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)にはまだ建立されておらず、天長2年(825年)空海により着工、承和2年(835年)頃完成した。当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆による火災で焼失し、室町時代の[[延徳]]3年([[1491年]])に再建されたのが現存する講堂である。単層入母屋造で純和様である。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした密教尊を安置する。すなわち、須弥壇中央には大日如来を中心とする五体の如来像(五仏、[[五智如来]])、向かって右(東方)には金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像([[五大菩薩]]、五菩薩)、向かって左(西方)には不動明王を中心とした五体の明王像([[五大明王]])が安置されている。また、須弥壇の東西端にはそれぞれ[[梵天]]・[[帝釈天]]像、須弥壇の四隅には[[四天王]]像が安置されている。以上、全部で21体の彫像が整然と安置され、羯磨曼荼羅(立体曼荼羅)を構成している。これら諸仏は、日本最古の本格的な密教彫像であり、空海没後の[[承和 (日本)|承和]]6年([[839年]])に開眼供養が行われているが(『[[続日本後紀]]』)、全体の構想は空海によるものとされる。21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は室町時代から江戸時代の補作であるが、残りの15体は講堂創建時の像である。これら21体の仏像の表す具体的意味について、かつては仁王経に基づく羯磨曼荼羅であると説明され、仁王経と金剛界法とを融合したものとも説かれるが、空海の真意が何であったかについてはさまざまな解釈があり、定説をみない。
* 五仏坐像(重要文化財) - 金剛界大日如来を中心とし、周囲に[[宝生如来]]、[[阿弥陀如来]]、[[不空成就如来]]、[[阿しゅく如来|阿閦如来]]を配す。大日如来像は明応6年(1497年)、仏師康珍の作。宝生如来、不空成就如来、阿閦如来の各像は江戸時代の作で、阿弥陀如来像は頭部のみ平安時代の古像のものを流用し、体部は江戸時代の作である。「木造大日如来坐像 附 金剛界四仏坐像」として重要文化財に指定され、大日如来以外の4躯は重要文化財の附(つけたり)指定とされている。
* 五大菩薩坐像(国宝) - 金剛波羅蜜菩薩(金剛波羅蜜多菩薩とも)を中心に、周囲に金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩、[[金剛薩た|金剛薩埵]]の各像を配す。中尊の金剛波羅蜜菩薩像は江戸時代の作。他の4体は後世の補修が多いが、当初像である。一木造に乾漆を併用し、作風・技法ともに奈良時代風が強い。金剛波羅蜜像を除く4躯が「木造五大菩薩坐像 4躯」として国宝に指定され、金剛波羅蜜像は国宝の附(つけたり)指定とされている<ref>五大菩薩像のうち4躯は1954年に国宝に指定された。中尊の金剛波羅蜜像は無指定であったが、2012年に「木造五大菩薩坐像 4躯」の「附」(つけたり)という形で追加指定された(平成24年9月6日文部科学省告示第133号)</ref>。
* 五大明王像(国宝) - [[不動明王]]像を中心に、[[降三世明王]]、[[軍荼利明王]]、[[大威徳明王]]、[[金剛夜叉明王]]像を配す。東寺御影堂の不動明王像とともに、明王像としては日本最古の作例である。
* 梵天坐像・帝釈天半跏像(国宝) - [[梵天]]像は法隆寺などにある奈良時代の像と異なり、4面4臂の密教像であり、4羽の鵞鳥が支える蓮華座上に坐す。[[帝釈天]]像は甲を着け、白象に乗り、左脚を踏み下げる。両像の台座、帝釈天像の頭部などは後補である。
* 四天王立像(国宝) - 4体のうち持国天像は表情に怒りをあらわにし、激しい動きを見せるが、他の3体(増長天、広目天、多聞天)の表現は抑制されている。多聞天像は後補部分が多いが、修理の際に後世の彩色を除去したところ、面部などは当初部分が良好に保存されていることが確認された<ref>(根立・新見、2011)、pp.73 - 74</ref>。
 
=== 食堂(じきどう) ===
70 ⟶ 76行目:
 
=== 五重塔 ===
国宝。東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海により、創建着手にはじまるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、[[寛永]]21年([[1644年]])、[[徳川家光]]の寄進で建てられたものである。初重内部の壁や柱には[[両界曼荼羅]]や真言八祖像を描き、須弥壇には心柱を中心にして金剛界四仏像と八大菩薩像を安置する。真言密教の中心尊であり金剛界五仏の中尊でもある大日如来の像はここにはなく、心柱を大日如来とみなしている。諸仏は寛永20年([[1643年]])から翌年にかけての作で、江戸時代初期の作風を伝える。初重内部は通常非公開だが、特別に公開される場合もある。
 
初重内部の安置仏像は以下のとおり(菩薩像の像名は寺伝による)<ref>(根立・新見、2011)、pp.49 - 50</ref>。
*東面 - 阿閦如来、弥勒菩薩、金剛蔵菩薩
*南面 - 宝生如来、除蓋障菩薩、虚空蔵菩薩
79 ⟶ 85行目:
 
=== 御影堂 ===
国宝。かつて空海が住房としていた、境内西北部の「西院」(さいいん)と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂である。前堂、後堂、中門の3部分からなる複合仏堂で、全体を檜皮葺きとする。昭和33年(1958年)の国宝指定時の名称は「大師堂」であるが、寺では主に「御影堂」の名称を用いている。当初の堂は[[康暦]]元年([[1379年]])の火災による焼失後、その翌年に後堂部分が再建された。10年後の[[明徳]]元年([[1390年]])、弘法大師像を安置するために北側に前堂、その西側に中門が増築された。後堂(南側)には空海の念持仏とされる[[不動明王]]坐像(国宝、9世紀)を安置する。厳重な[[秘仏]]で非公開であるが、日本の不動明王像としては最古の作例の1つである。北側の前堂には弘法大師坐像(国宝)を安置する。この像は東寺の親厳の依頼により、[[天福 (日本)|天福]]元年([[1233年]])[[運慶]]の4男[[康勝]]が制作したもので、空海の弟子の[[高岳親王|真如]]が描いた空海の肖像とほぼ同じといわれている。この像は庶民の信仰を広く集めており、像の前では、毎朝6時に「お大師様」に朝食を捧げる「生身供」(しょうじんく)が執り行われ、多くの参拝者が集まる。
 
=== その他の堂宇 ===
; 大日堂
: 平成12年([[2000年]])に大改修を終えた。[[浜田泰介]]の障壁画がある。大日如来像を安置する。
:* 大日如来像(平安時代造)
; 毘沙門堂
: 御影堂の南側にある。かつて羅城門の上層にあった、兜跋毘沙門天像を安置するために建てられた。兜跋毘沙門天(国宝)は現在宝物館に収蔵。京都の[[都七福神]](毘沙門天)である。
; 灌頂院(重要文化財)
: 境内南西隅に位置する。[[伝法灌頂]](密教の奥義を師匠から弟子へ伝える儀式)、[[後七日御修法]](ごしちにちのみしほ:正月の8日から14日までの間に、天皇の安泰を祈願する儀式)などの儀式を執り行うための堂で、内部には仏像は安置されていない。床は[[石畳]]になっており、土足厳禁となっている。
; 宝蔵(重要文化財)
: 拝観入口の慶賀門の南側、掘割で囲まれた中に建つ。平安後期建立の校倉(あぜくら)造倉庫で、東寺最古の建造物である。
; 鎮守八幡宮
: 南大門を入った左側にある。明治元年(1868年)に焼失後、1世紀以上を経た平成4年(1992年)に再建。東寺の鎮守神である僧形八幡神像と女神(じょしん)像2体を安置する。[[薬子の変]]の際、空海はここで嵯峨天皇勝利の祈祷を行っている。
; 南大門(重要文化財)
: 明治28年([[1895年]])、[[三十三間堂]]の西門を移築したもの。[[九条通|九条通り(九条大路)]]に面しており、[[京阪国道口|京阪国道口交差点]]から東へ約100mの場所にある。
; 蓮花門(国宝)
: 鎌倉時代再建の八脚門。本坊西側、壬生通りに面して建つ。
; 小子房
: 昭和9年([[1934年]])に再建されたもの。内部は6個の部屋(鷲の間、雛鶏の間、勅使の間、牡丹の間、瓜の間、枇杷の間)からなる。各部屋の障壁画は[[堂本印象]]により描かれた。小子房の西の門は蓮華門と呼ばれ国宝である。
; 太元堂
: 北大門を出た右側にある。鎮護国家を司るという[[大元帥明王]]と四天王を祀る。大元帥明王は憤怒の形相であるといわれている。<!--大元帥明王の真言は「ノウボウ タリツ タボリツ ハラボリツ シャキンメイ シャキンメイ タラサンダン オエンビ ソワカ」である。--><!-- 東寺に祀られる多数の仏のうち本像のみ真言を記載するのは不釣合いなのでコメントアウト -->
; 弁天堂
: 北大門を出た右側にある。音楽・技芸・財産を司るという[[弁才天]]を祀る。
; 東寺宝物館
: 北大門を出た左側にある。春や秋の観光シーズンなどに、普段公開しない寺宝を展示する。
<gallery>
File:Toji-Daishido.jpg|御影堂(大師堂)北面
File:Toji Mieido 05.jpg|御影堂(大師堂)南面
File:Toji 08.JPG|宝蔵
File:Toji-Keigamon 2015.JPG|慶賀門
File:Toji-Nandaimon.jpg|南大門
File:Toji-Kitadaimon.jpg|北大門
File:Tô-ji Buddhist Temple - Kitasô-mon Gate.jpg|北総門
File:Toji-kanjyoin tomon.jpg|灌頂院東門
File:Tô-ji Buddhist Temple - Kanjô-in - Northern gate.jpg|灌頂院北門
File:To-ji National Treasure World heritage Kyoto 国宝・世界遺産 東寺 京都008.JPG|蓮花門
</gallery>
 
=== 塔頭 ===
[[ファイル画像:Tou-ji kanchiin.JPG|thumb|240px|観智院 五大の庭]]
; 観智院
: 北大門を出て櫛笥(くしげ)小路を進んだ右側に位置する。[[塔頭|塔頭寺院]]であるが、別格本山となっている。学僧であった[[杲宝]]を1世として延文4年(1359年)<ref>延文3年(1358年)創建という説もある。</ref>に子院として創建された。杲宝は現在国宝となっている「東宝記」という東寺の創建から室町時代に至る寺史をまとめた。これは弟子の賢宝により補足完成された。観智院は東寺のみならず真言宗全体の勧学院と位置づけられ、多くの学僧を輩出している。経蔵である金剛蔵には膨大な文書・典籍・聖教類が所蔵されていたが、現在は東寺宝物館に移されている。通常非公開であるが、春秋などに特別公開される場合がある。
:* 客殿(国宝) - 慶長10年(1605年)の建立。桃山時代の典型的な[[書院造|書院造り]]の建造物として国宝に指定されている。上の間には[[宮本武蔵]]筆といわれる「鷲の図」などの襖絵がある。客殿南の庭園は「五大の庭」と称される。
:* 本堂 - 本尊の五大虚空蔵菩薩像は唐からの請来像で、長安の青龍寺の本尊であったとの伝承がある。
; [[宝菩提院 (京都市南区)|宝菩提院]]
: 弘安2年([[1279年]])創建と伝えられる。櫛笥小路沿いの、観智院の北側にある塔頭である。別格本山となっている。もとは観智院と櫛笥小路をはさんで東西対称に建てられていたが、明治14年([[1881年]])「総黌」(そうこう)開学に伴い現在地に移転した。総黌は、現在の[[種智院大学]]ならびに[[洛南高等学校・附属中学校|洛南高等学校]]の母体であった。観智院の道をはさんで向かい側には、宝菩提院の正門であった古い本瓦葺きの門がある。
 
=== 関連施設 ===
北大門を出て櫛笥小路を進んだ左側に、[[洛南高等学校・附属中学校]]がある。<!-- また、東方に東寺執行職(しぎょうしょく)を世襲した、空海の母方の実家でもある、[[阿刀氏]]が奉祀する石上神社があり、[[物部氏]]の[[氏神]][[石上神宮]]との関係から、物部氏の[[神道]]に於ける[[呪術]]性(例:[[十種神宝]]の呪術)が、東寺密教に影響を与えた可能性も考えられる。/辞書は持論を展開する場ではない -->
北大門を出て櫛笥小路を進んだ左側に、[[洛南高等学校・附属中学校]]がある。
<!-- また、東方に東寺執行職(しぎょうしょく)を世襲した、空海の母方の実家でもある、[[阿刀氏]]が奉祀する石上神社があり、[[物部氏]]の[[氏神]][[石上神宮]]との関係から、物部氏の[[神道]]に於ける[[呪術]]性(例:[[十種神宝]]の呪術)が、東寺密教に影響を与えた可能性も考えられる。/辞書は持論を展開する場ではない -->
 
== 文化財 ==
[[File画像:Kongokai.jpg|thumb|240px|両界曼荼羅(真言院曼荼羅、西院曼荼羅)のうち金剛界曼荼羅]]
[[File画像:Taizokai.jpg|thumb|240px|両界曼荼羅(真言院曼荼羅、西院曼荼羅)のうち胎蔵曼荼羅]]
[[File画像:Dai Itoku Myoo Yamantaka Toji.JPG|thumb|240px|絹本著色五大尊像のうち大威徳明王]]
[[File画像:Huushincho 1.jpg|thumb|240px|弘法大師筆尺牘([[風信帖]])(第一通)]]
[[File画像:Kyowogokokuji Monastery Tobatsu Bishamonten (280).jpg|thumb|180px|兜跋毘沙門天像]]
 
=== 史跡 ===
境内が「教王護国寺境内」として国の[[史跡]]に指定されている。
141 ⟶ 148行目:
=== 国宝 ===
(建造物)
* 金堂
* 五重塔
* 大師堂
* 蓮花門
* 観智院客殿 - [[慶長]]11年([[1606年]])の建立。
 
(絵画)
* 絹本著色真言七祖像(絵画) - 真言宗の祖師7人の肖像画。7幅のうち5幅は空海が唐から持ち帰ったもので、損傷甚大とはいえ、唐時代絵画の数少ない遺品としてきわめて貴重。
* 絹本著色五大尊像 - 宮中で正月の8日から14日までの間行われた後七日御修法(ごしちにちのみしほ:天皇の健康を祈る密教の修法)の際に道場に掛けられた仏画。平安後期の作。
* 絹本著色両界曼荼羅(伝・真言院曼荼羅) - 日本に伝わる両界曼荼羅のうち、もっとも著名なもの。鮮烈な色彩とインド風の濃い諸仏の官能的な肢体が特色。「西院曼荼羅」とも称する。平安初期、9世紀の作。
* 絹本著色十二天像 六曲屏風一双 - 鎌倉時代、[[宅磨派]]の作。
 
(彫刻)
* 木造五大菩薩坐像 4躯(金剛薩埵・金剛法・金剛宝・金剛業)附 木造金剛波羅蜜菩薩坐像 - 講堂安置<ref>附指定の金剛波羅蜜菩薩は2012年追加指定(平成24年9月6日文部科学省告示第133号)</ref>
* 木造五大明王像(不動明王・降三世明王・大威徳明王・軍荼利明王・金剛夜叉明王 の5躯) - 講堂安置
* 木造梵天・帝釈天像 - 講堂安置
* 木造四天王立像 - 講堂安置
* 木造不動明王坐像・天蓋 - 大師堂(御影堂)安置
* 木造弘法大師坐像(康勝作) - 大師堂(御影堂)安置
* 木造[[兜跋毘沙門天]]立像 - 像高189.4cm。もと平安京の羅城門に安置されていたと伝わる像<ref name="kyoto-np20160320">{{Cite news
|url = http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20160320000134
|title = 半世紀前に盗難、宝塔を復元 京都・東寺の毘沙門天
|newspaper = [[京都新聞]]
|date = 2016-03-20
|accessdate = 2016-03-21
|accessdate=2016-03-21}}</ref>。天元3年(980年)羅城門が倒壊したとき、何者かによって、瓦礫の中から掘りされ、東寺に運ばれたという。使われている木は、中国産の[[魏氏桜桃]]である。中国・唐時代の作。宝物館に安置。[[1968年]]の公開時に左手に持っていた宝塔(約24cm)が盗難に遭って不明となっており、2015年に行われた修理にわせて宝塔の複製品が新たに作られ、[[2016年]]の春の特別展でほぼ半世紀ぶりに元の姿で公開された<ref name="kyoto-np20160320"/>。
* 木造僧形八幡神坐像1躯、女神坐像2躯、附・武内宿禰坐像 - 鎮守八幡宮安置。平安初期の作。日本の神像の最古作の1つ。
 
(工芸品)
* 密教法具(伝弘法大師将来)(金銅金剛盤、金銅五鈷鈴、金銅五鈷杵) - 唐時代
* 犍陀穀糸袈裟・横被(けんだこくし けさ・おうひ)(附:修多羅および組紐2条) - 唐時代の染織工芸品。空海の請来品。
* 海賦蒔絵袈裟箱(かいぶまきえ けさばこ) - 平安初期の漆工芸品。上記袈裟を収納するためのもの。
* 紫檀塗螺鈿金銅装舎利輦(したんぬりらでんこんどうそう しゃりれん) - 舎利会(しゃりえ:仏陀の遺骨をたたえる年中行事)で用いるもので、神社の神輿に似ている。「紫檀塗螺鈿金銅荘」とは、黒漆塗に朱漆で木目を描き(紫檀塗)、[[螺鈿]](貝殻を用いた装飾)と金銅(銅に金メッキしたもの)で飾ったという意味である。
 
(書跡・典籍、古文書)
* 弘法大師筆尺牘([[風信帖]])(こうぼうだいしひつせきとく・ふうしんじょう) - 「尺牘」とは漢文体の手紙のこと。空海自筆の手紙3通を巻物に仕立てたもので、[[日本の書道史|日本書道史]]上きわめて貴重な作品である。1通目の手紙(最澄あて)の冒頭の「風信雲書」という句にちなんで「'''風信帖'''」と通称される。
* 弘法大師請来目録 - 空海が唐から持ち帰った品の目録で、筆者は[[最澄]]である。
* 後宇多天皇宸翰東寺興隆条々事書御添状(ごうだてんのうしんかん とうじこうりゅうじょうじょうことがき おんそえじょう) - 「[[宸翰]]」は「天皇の自筆」の意。弘法大師に帰依した後宇多天皇が、出家の翌年に東寺の発展を願って書き記したもの。
* 東宝記 12巻、1冊(附 目録1冊) - 南北朝から室町時代に成立した、東寺の公式記録書。
 
=== 重要文化財 ===
(建造物)
* 講堂
* 慶賀門
* 東大門
* 南大門
* 北大門
* 北総門
* 宝蔵
* 灌頂院、同北門、同東門
* 五重小塔
 
(絵画)
* 絹本著色十一面観音像
* 絹本著色不空羂索観音像
* 絹本著色両界曼荼羅図(一括指定)
**絹本著色両界曼荼羅図残欠 2枚(甲本)附:曼荼羅断片及び軸板2枚、錦残欠等一括
**絹本著色両界曼荼羅図残欠 2枚(乙本)附:曼荼羅断片及び軸板2枚、錦残欠等一括
197 ⟶ 204行目:
**絹本著色両界曼荼羅図 2幅(元禄本)附:絹本著色両界曼荼羅図断片一括
* 絹本著色両界曼荼羅図(敷曼荼羅)
* 紙本著色弘法大師行状絵詞 12巻
* 紙本墨画蘇悉地儀軌契印図(伝宗叡請来)
* 紙本墨画胎蔵曼荼羅略記 2巻
* 密教図像10点(火羅図 1幅、仁王経法本尊像 5幅、聖天像 1幅、大元帥明王像(六面八臀像)1幅、大元帥明王像(六面八臀像)1幅、大元帥明王像(四面八臀像)1幅、 大元帥曼荼羅図(十八面三十六臀像)1幅、大元帥曼荼羅図(四面八臀像)1幅、請雨経曼荼羅図 1幅、六大黒天像 1幅)
 
(彫刻)
* 木造薬師如来及両脇侍像(金堂安置)(薬師如来像台座下に十二神将像がある)
* 木造大日如来坐像、附・金剛界四仏坐像(講堂安置)
* 木造千手観音立像(旧食堂本尊)
* 木造聖僧文殊(しょうそうもんじゅ)坐像(旧食堂安置)
* 木造地蔵菩薩立像(旧食堂安置)
* 木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像(二間観音)
* 木造獅子(仏像台座の一部)<ref>平成24年9月6日文部科学省告示第127号</ref>
* 木造五大虚空蔵菩薩像(伝[[恵運]]将来)(所在観智院)
 
(工芸品)
* 鈸子(ばっし)一対・銅鑼 1口 文保二年銘<ref>銅鑼は2015年追加指定(平成27年9月4日文部科学省告示第144号)</ref>
* 金銅大鋺2口・金銅鋺7口・金銅皿5枚・金銅鋺蓋8枚(附:金銅角蓋1枚)
* 金銅舎利塔
* 金銅鉢 5口
* 金銅羯磨 4口
* 刻文脇息
* 漆皮箱
* 水精念珠(附:黒漆独鈷文蒔絵合子 永徳二年銘)
* 法会所用具類(ほうえ しょようぐるい) - 舞楽水引 残欠共6枚、蛮絵袍 5領、舎利会装束(大帷6領、袴4腰、大口3腰)、舎利会散花机前垂(赤蓮華文錦) 1枚、奚婁(けいろ)1口、鼗(ふりつづみ)1口、羯鼓(台付)1口、 鼓胴(皮各2枚付)2口、鉦鼓 1口、木履 5両、十二天[[持物]] 13本、竜頭 9頭、行道面 11面、附:舞装束箱 1口、法会所用具箱 2合・1口、太鼓皮 2枚、舎利会装束残欠 一括<ref>本件は1953年に指定、2011年に追加指定が行われ員数が変更している(平成23年6月27日文部科学省告示第109号)。</ref>
* 木造彩色大壇
 
(書跡・典籍、古文書)
* 絹本著色弘法大師像 画賛(伝後宇多院宸翰)あり(談義本尊)
* 悉曇蔵 巻三、巻八 巻八に天慶五年の奥書
* 宋版一切経(うち和刻本7帖、補写本18帖)6,087帖
* 宋版大般若経(うち補写本9帖)642帖
* 大般若経 597巻
*般若経(神泉苑寄進経)587帖
* 大仏頂陀羅尼 雍煕二年僧盛算伝得記
* 仏説灌頂経 12帖 巻第四、七に天平勝宝六年の奥書
* 本朝明匠略伝 下 文永十一年書写奥書
* 東寺観智院聖教類(しょうぎょうるい) 15,402件
* 弘法大師遺告(絹本)
* 後醍醐天皇塔供養御願文
* 舎利奉請文 後光厳院宸翰
* 舎利奉請誡文 後醍醐院宸翰
* 庄園敷地施入状 後宇多院宸翰 2巻
* 東寺文書(六芸之部) 91巻
* 東寺学衆方評定引付 101冊<ref>平成23年6月27日文部科学省告示第104号</ref>
 
(歴史資料)
* 東寺御影堂牛玉宝印板木<ref>平成24年9月6日文部科学省告示第132号</ref>
 
(考古資料)
* 平安京古瓦 3箇(三彩釉鬼瓦、緑釉鐙瓦、緑釉宇瓦)
典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
 
254 ⟶ 256行目:
 
(国宝)
* 絹本著色十二天像 12幅([[京都国立博物館]]蔵) - 平安後期の色彩華麗な仏画。
* 絹本著色山水屏風(せんずいびょうぶ)([[京都国立博物館]]蔵) - 密教の儀式の際、道場に立てられた屏風。平安後期。
* 牛皮華鬘(ごひけまん)([[奈良国立博物館]]蔵)
* 後宇多院宸記([[国立歴史民俗博物館]]蔵)
* 三宝絵詞([[東京国立博物館]]蔵)
* [[入唐求法巡礼行記]](岐阜県・法人蔵) - [[円仁]]著の写本。
* 類聚名義抄([[天理大学]]蔵・天理大学附属天理図書館保管)
 
(重要文化財)
* (京都国立博物館蔵)木造十二天面 7面
* (奈良国立博物館蔵)七大寺日記
* (国立歴史民俗博物館蔵)後醍醐院消息
* ([[MOA美術館]]蔵)絹本著色求聞持曼荼羅図、絹本著色童子経曼荼羅図、諸尊図像、伝法正宗定祖図、九曜星図像、仁王経法図像、太元明王図像、白描曼荼羅集、星曼荼羅図残欠、白銅水瓶、彩絵曲物笥、黒漆螺鈿礼盤、雑伎彩絵唐櫃
* ([[天理大学附属天理図書館]]蔵)古文尚書巻第十一、世俗諺文上巻、類聚三代格巻第三、作文大躰、古文孝経、蒙求 康永四年書写、蒙求 建永元年及建保六年奥書、文選巻第廿六
* (岐阜・法人蔵)絹本著色閻魔天像、絹本著色愛染明王像、絹本著色宝楼閣曼荼羅図、雲龍図 円山応挙筆、銅造菩薩立像
* (個人蔵)絹本著色仏眼曼荼羅図、絹本著色普賢延命像、絹本著色八字文殊菩薩及び八大童子・善財童子像
 
=== 指定解除された重要文化財 ===
* 木造四天王立像(旧食堂安置) - 昭和5年([[1930年]])12月21日の「弘法市(終い弘法)」の日に食堂(じきどう)が失火で焼失した際、内部に安置されていた本尊千手観音立像と四天王像(いずれも旧国宝)も焼損。千手観音像は修復され、旧国宝指定解除はなされなかったが、四天王像は焼損の程度が大きかったため修復不可能と判断され指定解除された。この四天王像は表面が黒焦げ状態にはなっているものの、像の概形は残っている。平成5年([[1993年]])から合成樹脂注入による表面の硬化が行われ、現在は再建された食堂に安置されている。像高3mを越える日本でも最大級の四天王像である。[[西村公朝]]によれば現在の技術であれば修復し文化財の再指定が可能という。
 
=== 東寺伝来文書 ===
東寺伝来の文書群のうち、下記が国宝・重要文化財に指定されている。東寺百合文書(ひゃくごうもんじょ)以下3件は第二次大戦後に[[京都府]]およ[[京都大学]]に譲渡されたもの。滋賀県所有分は江戸時代に流出したものである。
*[[東寺文書#東寺百合文書|東寺百合文書]]([[京都府立総合資料館]]蔵、国宝、世界記憶遺産)
 
* [[東寺観智院伝来文書#東寺百合文書|東寺百合文書]]典籍類[[京都府立総合資料館]]蔵、国宝、世界記憶遺産重要文化財
*教王護国観智院伝来文書典籍類[[京都府立大学総合資料博物]]蔵、重要文化財)
* 教王護国寺文書([[京都大学滋賀県立琵琶湖博物館]]蔵、重要文化財)
* 東寺文書([[滋賀県立琵琶湖博物館]]蔵、重要文化財)
 
== 弘法市 ==
289行目:
*JR西日本[[京都駅]]八条口から徒歩15分。
*バス
:* [[京都駅]]前バス停から
::*C4乗り場から京都市バス42系統洛西口駅前行きで東寺東門前下車(1時間に1本程度)
::*C4乗り場から京都市バス16系統南区総合庁舎方面行きで東寺西門前下車(1時間に2本程度)
::*C4乗り場から京都市バス19系統横大路車庫行きで東寺南門前下車(1時間に1本程度)
:* [[京都駅]]八条口から
::*F1乗り場から京都市バス71系統・特71系統松尾橋行きで東寺西門前下車(日中は1時間に2本程度)
::* F1乗り場から京都まちづくり交通研究所(京都市バスが受託運行)「東寺・梅小路エクスプレス」で東寺西門前下車(土曜・休日のみ運行・1時間に4本程度)
::* G1乗り場から京都市バス16系統南区総合庁舎方面行きで東寺西門前下車(1時間に2本程度)
::* G1乗り場から京都市バス19系統横大路車庫行きで東寺南門前下車(1時間に1本程度)
:* [[阪急京都線]][[大宮駅 (京都府)|大宮駅]]前「四条大宮」バス停から
::* 3乗り場から京都市バス18系統久我石原町行きで東寺西門前下車(1時間に2本程度)
::* 3乗り場から京都市バス特18号系統久世橋東詰行きで東寺西門前下車(1時間に1本程度・平日は1時間に1~2本)
::* 3乗り場から京都市バス71・特71系統京都駅八条口行きで東寺西門前下車(日中は1時間に2本程度)
::* 3乗り場から京都市バス207系統東寺・東福寺方面行きで東寺西門前下車(10分前後おき)
 
== 脚注 ==
309行目:
 
== 参考文献 ==
* 「東寺」縁起
* 京都国立博物館、東寺、朝日新聞社編 『東寺国宝展』(特別展図録)、[[朝日新聞社]]、[[1995年]]。
* 井上靖、塚本善隆監修、司馬遼太郎、鷲尾隆輝著 『古寺巡礼京都1 東寺』 [[淡交社]]、[[1976年]]。
* 『週刊朝日百科 日本の国宝』65 - 67号、朝日新聞社、[[1998年]]。
* 東寺監修、根立研介・新見康子著『もっと知りたい 東寺の仏たち』、東京美術、2011
* 西村公朝 『仏像は語る』 [[新潮社]]
* 『日本歴史地名大系 京都市の地名』 [[平凡社]]
* 『角川日本地名大辞典 京都府』 [[角川書店]]
* 『国史大辞典』 [[吉川弘文館]]
* 特集「東寺よ開け!」『芸術新潮』第46巻第7号、[[1995年]][[7月]]。
* 『大師のみてら 東寺』 教王護国寺
 
== 関連項目 ==
* [[東寺真言宗]]
* [[古都京都の文化財]]
* [[東寺長者]]
* [[東寺駅]] - [[近鉄京都線]]にある最寄り駅。東寺は東寺駅から西へ約500m。
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Toji}}
{{osm box|w|359896810}}
* [http://www.toji.or.jp/ 東寺(教王護国寺)公式ウェブサイト]
* [http://www.touji-ennichi.com/ 弘法市〜東寺縁日]
* [http://www.pref.kyoto.jp/isan/ 世界文化遺産 -京都府 ホームページ-]
* [http://kyoto.13butsu.org/ 京都十三佛霊場 公式ホームページ]
 
{{古都京都の文化財}}