「ニコラウス2世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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'''ニコラウス2世''' ('''Nicholas II''', [[990年]]/[[995年]] - [[1061年]][[7月27日]])は、[[ローマ教皇]](在位:[[1059年]] - 1061年)。俗名は'''ブルゴーニュのジェラール'''('''Gérard de Bourgogne''')で、教皇となる以前は[[フィレンツェ]]の[[司教]]だった。
<ref>Coulombe, Charles A. ''Vicars of Christ: A History of the Popes'', Citadel Press, 2003, p 210.</ref>
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== 選挙改革 ==
従来、[[コンクラーベ]](教皇の選挙)は皇帝の権力が遠方のドイツからローマへ介入できるほどに強い場合を除き、ローマの貴族によって左右されていた。対立教皇ベネディクトゥス10世の登場はその結果の一つであり、ニコラウス2世はコンクラーベの改革を志した。1059年の[[教会会議]]において、ニコラウス2世は113人もの司教をローマに呼び寄せ、コンクラーベの手続きを含む数々の改革について議論し、改革案を採用した。この結果教会はローマの世俗勢力からの独立を宣言し、この後教皇はローマで開かれる[[枢機卿]]会議で選出されることとなった。
 
 
==神聖ローマ帝国との対立と死去==
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== 脚注 ==
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<references /></div>
 
{{ローマ教皇|155代:1058年 - 1061年}}
{{Normdaten}}
 
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[[Category:1061年没]]