「ハトゥン」の版間の差分

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しかし、[[オルホン碑文]]に書かれた[[突厥文字]]ではqatunと記されているため、カガン({{lang|mn|qaγan}})がハーン(Khaan)に変化したのと同様に、カガトゥン({{lang|mn|qaγatun}}がカアトゥン(qaʼatun)に変化し、さらにカトゥン(qatun)からハトゥン(khatun)へと変化したものと見られる<ref>村上1970,74頁</ref>。
 
[[モンゴル帝国]]時代には「ハトゥン」という形式が固定し、東方漢文史料圏では合屯/合敦、西方イスラーム史料圏ではخاتون‎‎خاتون khātūnと記された。モンゴル帝国がユーラシアの諸地域を征服し統治下に置いた事で、モンゴル帝国の継承政権が成立したユーラシア各地で「ハトゥン」という語は残された。
 
== 関連項目 ==