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{{参照方法|date=2014年9月}}
'''小林 太三郎'''(こばやし たさぶろう、[[1923年]]([[大正]]12年)[[11月13日]] - [[2012年]]([[平成]]24年)[[9月20日]]は、[[日本]]の[[経営学]]者。[[欧米]]や[[アジア]]の[[大学]]には日本と違って[[広告]][[学部]]や[[広告]][[学科]]があり、多くの[[研究者]]がいるが、[[広告]]研究においては[[日本]]の第一人者{{要出典|date=2014<ref>409月}}史編集委員会編(2009)『日本広告学会40年史』日本広告学会。</ref><ref>日刊工業新聞社に、産業広告に貢献した人を表彰する「小林太三郎賞」ができる。</ref>。[[博士(商学)|商学博士]]、[[早稲田大学]][[名誉教授]]([[大学院]][[商学研究科]]、[[商学部]])<ref>博士論文『広告コミュニケーションの管理:理論と実際』(早稲田大学、1968年) - 博士論文書誌データベースより。</ref>。広告研究で博士号を取り大学院で広告研究の講義をし、広告研究の[[早稲田ゼミナール]]を持った日本最初の人物。著書である『広告管理の理論と実際』同文舘(1968)は669ページに及ぶ著。露出、認知、態度といった[[消費者行動]]の段階を明確に[[定義]]づけ、[[]][[名誉教授業界]]で使用する広告関連用語の標準化に貢献した。また、多くの広告研究者を世に送り出した([[亀井昭宏]]、小林保彦、嶋村和恵、中山勝己、[[清水公一]]、松井陽通、石崎徹、小泉眞人)。日本広告会設立に尽力し、長年会長を務め、[[日本学術会議]]会員として活躍した。[[アメリカ]][[広告]][[研究科]]、アメリカ・[[マーケティング]][[協会]]、アメリカ・[[ダイレクトメール]]/マーケティング協会(AMA)、アメリカ広告調査財団(ARF)会員。[[ミシガン州立大]]ゴードン・E・ミラクルは友人。IAA世界広告会議が[[東京]]で開催された折、司会を務め、慰労のため[[東宮御所]]に招かれる
 
広告研究で博士号を取り、大学院で広告研究の講義をし、広告研究の[[ゼミナール]]を持った日本最初の人物。著書である『広告管理の理論と実際』同文舘(1968)は669ページに及ぶ大著。露出、認知、態度といった[[消費者行動]]の段階を明確に[[定義]]づけ、[[学会]][[業界]]で使用する広告関連用語の標準化に貢献した。また、多くの広告研究者を世に送り出した([[亀井昭宏]]、小林保彦、嶋村和恵、中山勝己、[[清水公一]]、松井陽通、石崎徹、小泉眞人)。日本広告学会設立に尽力し、長年会長を務め、[[日本学術会議]]会員として活躍した。[[アメリカ]][[広告]][[学会]]、アメリカ・[[マーケティング]][[協会]]、アメリカ・[[ダイレクトメール]]/マーケティング協会(AMA)、アメリカ広告調査財団(ARF)会員。[[ミシガン州立大学]]ゴードン・E・ミラクルは友人。IAA世界広告会議が[[東京]]で開催された折、司会を務め、慰労のため[[東宮御所]]に招かれる。
 
==略歴==
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*2001年(平成13年)4月:勲三等[[瑞宝章]]を授与される
*2012年(平成24年)10月:[[正五位]]に叙される
 
==冠賞==
*2014年(平成26年)日刊工業新聞社に、産業広告に貢献した人を表彰する「小林太三郎賞」ができる
 
== 著書 ==
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*『アドバタイジング』電通
*『日経広告研究所報』日経広告研究所
*『小林太三郎先生を偲んで』(戒名:広徳院教導三優居士)小林太三郎先生を偲ぶ会実行委員会、北野邦彦(63年卒)他10名
 
{{デフォルトソート:こはやし たさふろう}}