「五十嵐充」の版間の差分

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== 来歴 ==
* 幼稚園から中学一年生の時にスキーで左足を骨折するまで[[エレクトーン]]を習っていた。中学初期は[[ビートルズ|THE BEATLES]]、[[モンキーズ|THE MONKEES]]らの楽曲に夢中になり、洋楽にはまるきっかけになったという。その後は[[ギター]]にのめりこみ、中学三年生の終わり頃からはアマチュアバンドを組むようになる。その頃には[[HR/HM]]系バンドを聴くようになった。高校は[[横浜中学校・高等学校|横浜高等学校]]に在籍し、[[ディスコ]]で聴いたサマンサ・ジルズの楽曲から[[ユーロビート]]に衝撃を受ける。この頃、自身の周りにギター上級者が数多くいたため、ギターを諦め再び鍵盤楽器に集中するようになる。横浜高等学校を卒業後、[[明治学院大学]]に入学するが、在学中に音楽活動に専念したため[[除籍 (学籍)|除籍]]になっている。(ちなみに、著名な先輩には[[南こうせつ]]、[[高見沢俊彦]]などがいる)
* 「[[エイベックス・グループ|エイベックス]]」創業者の一人である[[松浦勝人]]が、当時[[経営]]していた[[レンタルCD|貸レコード店]]「友&愛」[[上大岡]]店でアルバイトとして勤務していた。これが縁で松浦と親交を深めていった。後に上大岡店の店長となる。
* 24歳の時(1993〜1994年頃)に音楽業界入りし、「エイベックス」の子会社の制作会社「[[エイベックス・プランニング&デベロップメント|プライム・ディレクション]]」のレコーディングスタジオ「プライム・サウンド・スタジオ青山」の電話番のアルバイトをしながら、音楽プロデューサーを志し音楽創作を始める。その後1995年、「[[エイベックス・グループ|エイベックス・ディー・ディー]]」のディレクターが、のちに[[Every Little Thing]]のボーカルとなる当時17歳の[[持田香織]]をスタジオに連れて来て、五十嵐に持田の声を使ってデモテープをつくることを勧めた。その後、持田のデビューの話が進み、[[松浦勝人]]が五十嵐もユニットとして表舞台に出ることを勧めている。かつて、共にバンドを組んでいた[[伊藤一朗]]と会うのはデビュー1ヶ月前のことである。