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[[File:Rosa Johann Strauss.jpg|thumb|210px|バラ『[[ヨハン・シュトラウス (バラ)|ヨハン・シュトラウス]]』]]
'''ヨハン・シュトラウス'''({{Lang-de|''Johann Strauss''}})は、[[ユダヤ系ハンガリー人]]をルーツに持つ<ref>{{Cite book|和書|author=[[倉田稔]]|date=2006年(平成18年)|title=ハプスブルク文化紀行|publisher=[[日本放送出版協会]]|isbn=4-14-091058-5}}p.175</ref>、[[19世紀]]に活躍した[[オーストリア]]の[[作曲家]]ファミリーとして知られる{{仮リンク|シュトラウス家|en|The Strauss Family}}にみられる人名である。
'''ヨハン・シュトラウス'''({{Lang-de|''Johann Strauss''}})は、[[ウィンナ・ワルツ]]の作曲家ファミリーとして知られる[[シュトラウス家]]にみられる人名。または、その人名に由来する[[バラ]]の品種名。
 
== 概要 ==
単に「ヨハン・シュトラウス」とだけ書いた場合、通常は2世を指す。1世は「ヨハン・シュトラウス1世」または「ヨハン・シュトラウス(」と但し書きするのが通例である。3世はドイツ語圏では「Enkel(孫)」と呼ばれるが、日本では「ヨハン・シュトラウス(などとする表記はほとんどみられず、「3世」と但し書きするのが主であるない
*[[ヨハン・シュトラウス1世]]
*[[ヨハン・シュトラウス2世]] : 1世の長男。
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== 対象の変遷 ==
[[File:Johannstraussadvert.jpg|left|thumb|190px|ヨハン・シュトラウス2世のデビューコンサート新聞告知。「Johann Strauss(Sohn)」との表記がある。(1844年)]]
[[File:Katze und Maus JStrauss.jpg|right|thumb|190px|ヨハン・シュトラウス3世のオペレッタ『猫とねずみ曲譜。「JOHANN STRAUSS JUN.」との表記がある。(1898年)]]
元々は「ヨハン・シュトラウス」といえば1世のことを指していた。他に同姓同名の作曲家はおらず、呼び分ける必要がなかったためである。やがて[[1844年]]に2世がデビューを果たすと、人々は1世を「ファーター(父)」、2世を「ゾーン(息子)」と呼んで両者を区別するようになった<ref name=" 加藤(2003) p.78"> {{Cite book|和書|author=[[加藤雅彦]]|date=2003年12月20日|title=ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産|series=[[NHKブックス]]|publisher=[[日本放送出版協会]]|isbn=4-14-001985-9|ref=加藤2003}}p.78</ref>。
 
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こうして2世が「ヨハン・シュトラウス」と呼ばれるようになったが、[[1898年]]12月に甥のヨハン3世が音楽家デビューを果たす。すると、区別のために今度は3世が「ジュニア」を付して呼ばれるようになった<ref>なお、ヨハン2世は翌[[1899年]]6月に死去するため、2世と3世の活動期間は半年ほどしか重なっていない。</ref>。(2世はそのまま「ヨハン・シュトラウス」)
 
現在でも通常は「ヨハン・シュトラウス」といえばやはり最も有名な2世を指すことが多い<ref>『[[ヨハン・シュトラウス記念像]]』や『{{仮リンク|ヨハン・シュトラウス劇場|de|Johann Strauß-Theater}}』などの名前からもこの傾向がみてとれる。</ref>が、父との区別のために2世に再び「ジュニア」などを付けて呼ぶことも多くなった。この動きに伴って、いつしか3世も「ジュニア」ではなく「エンクル(孫)」と呼ばれるようになった。
 
== 脚注 ==