「名所江戸百景」の版間の差分

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実際に「大はしあたけの夕立」や「亀戸梅屋舗」を模写した[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]、「京橋竹河岸」に触発され『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』を描いた[[ジェームズ・マクニール・ホイッスラー|ホイッスラー]]をはじめ、日本的な「[[ジャポニスム]]」の代表作として西洋の画家に多大な影響を与えたシリーズでもある。
 
江戸は安政2年([[1854年]])の[[安政の大地震]]で被害を受けており、名所江戸百景は災害からの復興を祈念した世直し意図もあった点が指摘されている。
 
== 全118枚の図絵 ==
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名所図会類の画題には複数の地名を羅列しただけのものが多いが、これらは適宜、「'''の'''」「'''より'''」「'''と'''」「'''を望む'''」などを補って読むとよい<ref>類似のものに古い道しるべがある。道しるべの多くは「を経て」「および」「に至る」などを適宜補って読む必要がある。こうした表記法が江戸時代以前には一般的であった。</ref>。以下に例をあげる。
 
* 日本橋江戸ばし → 日本橋'''より'''江戸橋'''を望む'''
* 永代橋佃しま → 永代橋'''より'''佃島'''を望む'''
* 外桜田弁慶堀糀町 → 外桜田'''より'''弁慶堀(桜田濠)・麹町'''方面を望む'''
* 鉄砲洲稲荷橋湊神社 → 鉄砲洲'''より'''稲荷橋'''と'''湊神社'''を望む'''
* 高田姿見のはし俤の橋砂利場 → 高田'''の'''姿見の橋'''から'''俤の橋'''と'''砂利場'''方面を望む'''
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== 脚注 ==
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== 参考資料 ==
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[[Category:1850年代]]
[[Category:浮世絵の作品]]