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|選出方法 = 全米野球担当記者協会選出
}}
'''スタン・ミュージアル'''(Stanley Frank “Stan” Musial, [[1920年]][[11月21日]] - [[2013年]][[1月19日]])は、[[アメリカ合衆国]][[ペンシルベニア州]][[ワシントン郡 (ペンシルベニア州)|ワシントン郡]]の[[プロ野球選手]]([[外野手]]、[[一塁手]])。[[ペンシルベニア州]]出身。愛称は「'''The Man(男の中の男)'''」。
 
現役生活の全てを[[セントルイス・カージナルス]]で送り、人格者として知られた。[[野球の背番号|背番号]]'''6'''はカージナルス初の[[野球界の永久欠番|永久欠番]]。
 
==経歴==
=== プロ入り前 ===
[[ポーランド]]系移民の父と[[チェコ]]系移民の母の間に生まれる。[[高等学校|高校]]時代から抜群の運動能力を発揮し、野球のみならず、[[バスケットボール]]でも[[大学]]から[[奨学生]]の誘いが来るほどだった。
 
=== 現役時代 ===
[[1938年]]にカージナルスと契約。[[投手]]としてマイナーで実績を積み重ねていくが打撃でも非凡な才能を発揮し、[[登板]]日以外は[[外野手]]としても活躍していた。しかし[[1940年]]に試合で外野守備の際に[[ダイビングキャッチ]]を試み、左肩をグラウンドに強打したことで投手を諦め、打撃に専念することになる<ref name="maj199801">[[芝山幹郎]]「誇り高き歴史を築いた男たち スタン・ミュージアル」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1998年1月号、[[ベースボールマガジン]]社、1998年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-1、58 - 59項。</ref>。
{{by|1938年}}にカージナルスと契約。[[投手]]としてマイナーで実績を積み重ねていくが打撃でも非凡な才能を発揮し、[[登板]]日以外は[[外野手]]としても活躍していた。
 
[[1938年]]にカージナルスと契約。[[投手]]としてマイナーで実績を積み重ねていくが打撃でも非凡な才能を発揮し、[[登板]]日以外は[[外野手]]としても活躍していた。しかし[[{{by|1940年]]}}に試合で外野守備の際に[[ダイビングキャッチ]]を試み、左肩をグラウンドに強打したことで投手を諦め、打撃に専念することになる<ref name="maj199801">[[芝山幹郎]]「誇り高き歴史を築いた男たち スタン・ミュージアル」『[[月刊メジャー・リーグ]]』1998年1月号、[[ベースボールマガジン]]社、1998年、[[雑誌コード|雑誌]] 08625-1、58 - 59項。</ref>。
===現役時代===
[[1941年]]9月17日の[[アトランタ・ブレーブス|ブレーブス]]戦で[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。[[ダブルヘッダー]]となったデビュー戦で6安打を放ち、ブレーブスの[[ケーシー・ステンゲル]]監督をして「あの小僧、5年やそこらで消えるタマじゃないぞ。10年、15年、いやもしかしたら20年近くもつかもしれん」と言わしめた<ref name="maj199801"/>。ミュージアルはその後ステンゲルの予測を上回る22年間メジャーでプレイした。
 
[[{{by|1941年]]}}9月17日の[[アトランタ・ブレーブス|ブレーブス]]戦で[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。[[ダブルヘッダー]]となったデビュー戦で6安打を放ち、ブレーブスの[[ケーシー・ステンゲル]]監督をして「あの小僧、5年やそこらで消えるタマじゃないぞ。10年、15年、いやもしかしたら20年近くもつかもしれん」と言わしめた<ref name="maj199801"/>。ミュージアルはその後ステンゲルの予測を上回る22年間メジャーでプレイした。
外野のレギュラーの座を掴み、翌[[1942年]]はフルシーズン1年目で[[打率]]3割を達成し[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]にも初出場。チームも[[ワールドシリーズ]]で[[ヤンキース]]を破り、世界一に輝いた。これ以降カージナルスは5年間で3度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。[[1943年]]は初の[[首位打者 (MLB)|首位打者]]、リーグ最多[[得点]]に加え、最多[[安打]]、[[二塁打|最多二塁打]]、[[三塁打|最多三塁打]]の塁打三冠も獲得し[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]を受賞する。[[1945年]]は兵役で試合への出場はなかったが、[[1946年]]は3年前と同様に首位打者、最多得点、塁打三冠獲得でMVPを受賞。
 
外野のレギュラーの座を掴み、翌[[{{by|1942年]]}}はフルシーズン1年目で[[打率]]3割を達成し[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]にも初出場。チームも[[ワールドシリーズ]]で[[ヤンキース]]を破り、世界一に輝いた。これ以降カージナルスは5年間で3度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。[[1943年]]は初の[[首位打者 (MLB)|首位打者]]、リーグ最多[[得点]]に加え、最多[[安打]]、[[二塁打|最多二塁打]]、[[三塁打|最多三塁打]]の塁打三冠も獲得し[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]を受賞する。[[1945年]]は兵役で試合への出場はなかったが、[[1946年]]は3年前と同様に首位打者、最多得点、塁打三冠獲得でMVPを受賞
[[1948年]]には[[タイ・カッブ]]以来史上2人目の1シーズン4回の5打数5安打を記録。特に4度目となった9月22日は両手首の故障により満足にバットが振れない中で、5スイング5安打を記録した<ref>{{cite book|和書|author=藤澤文洋|authorlink=藤澤文洋|year=2003|title=メジャーリーグ・スーパースター名鑑|publisher=[[研究社]]|pages=192項|isbn=4-327-37689-2}}</ref>。首位打者、[[最多打点 (MLB)|打点王]]を獲得し、[[本塁打]]は自己最多の39本で1位と1本差の2位。降雨ノーゲームとなった試合での本塁打1本が記録されていればナ・リーグ史上5人目の[[三冠 (野球)|三冠王]]になるところだったが、3度目のMVPを受賞した。
 
{{by|1943年}}は初の[[首位打者 (MLB)|首位打者]]、リーグ最多[[得点]]に加え、最多[[安打]]、[[二塁打|最多二塁打]]、[[三塁打|最多三塁打]]の塁打三冠も獲得し[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]を受賞する。
[[1950年]]から3年連続で首位打者を獲得。[[1954年]][[5月2日]]には[[ダブルヘッダー]]第一試合で3本塁打、第二試合で2本塁打<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/players/gl.cgi?n1=musiast01&t=b&year=1954|title=Stan Musial 1954 Batting Gamelogs|language=英語||work=Baseball-Reference.com |accessdate=2009年9月17日 }}</ref>、史上初の一日5本塁打を記録した<ref name="library"/>。[[1955年]][[7月12日]]ミルウォーキー開催の第22回オールスターゲームのスコア5-5の延長12回裏、先頭打者として打席に向かうとき、自軍のベンチに向かって「残業手当なんかいらないだろう。これでこの試合は終わりにするからな」と宣言し、[[フランク・サリバン]]の初球を叩いて右翼席へサヨナラソロ本塁打を放つ<ref>[[ハンク・アーロン]]「ハンク・アーロン自伝 I had a hammer.」[[講談社]]、1993年、120頁。ISBN 4-06-206365-4。</ref>。[[1957年]]37歳で7度目の首位打者を獲得した。MVPの投票では二冠王[[ハンク・アーロン]]の239ポイントに9ポイント及ばなかった<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/awards/awards_1957.shtml#NLmvp |title=Baseball Awards Voting for 1957 |language=英語||work=Baseball-Reference.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>。
 
{{by|1945年}}は兵役で試合への出場はなかった。
[[1958年]]5月13日には史上8人目となる3,000本安打を達成<ref name="Chronology">{{cite web |url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Stan_Musial_1920&page=chronology|title=Stan Musial from the Chronology|language=英語||work=BaseballLibrary.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>。シーズン終了後にカージナルスが[[日米野球]]で来日した際は、[[稲尾和久]]と[[杉浦忠]]から本塁打を放っている。
 
{{by|1946年}}は3年前と同様に首位打者、最多得点、塁打三冠獲得でMVPを受賞。
[[1959年]]に初めて打率が3割を割り込み、3割以上は16年で途切れるも、[[1962年]]は42歳でリーグ3位の打率.330を記録した。[[1963年]]8月12日に今シーズン限りでの引退を表明し、9月25日に背番号6は永久欠番となり、9月29日の試合で引退<ref name="Chronology"/>。引退時に29のリーグ記録、17のメジャー記録、9のオールスター記録を保持していた<ref name="library">{{cite web |url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Stan_Musial_1920|title=The Ballplayers - Stan Musial |language=英語||work=BaseballLibrary.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>。
 
[[{{by|1948年]]}}には[[タイ・カッブ]]以来史上2人目の1シーズン4回の5打数5安打を記録。特に4度目となった9月22日は両手首の故障により満足にバットが振れない中で、5スイング5安打を記録した<ref>{{cite book|和書|author=藤澤文洋|authorlink=藤澤文洋|year=2003|title=メジャーリーグ・スーパースター名鑑|publisher=[[研究社]]|pages=192項|isbn=4-327-37689-2}}</ref>。首位打者、[[最多打点 (MLB)|打点王]]を獲得し、[[本塁打]]は自己最多の39本で1位と1本差の2位。降雨ノーゲームとなった試合での本塁打1本が記録されていればナ・リーグ史上5人目の[[三冠 (野球)|三冠王]]になるところだったが、3度目のMVPを受賞した。
 
{{by|1950年}}から3年連続で首位打者を獲得。
 
{{by|1954年}}[[5月2日]]には[[ダブルヘッダー]]第一試合で3本塁打、第二試合で2本塁打<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/players/gl.cgi?n1=musiast01&t=b&year=1954|title=Stan Musial 1954 Batting Gamelogs|language=英語||work=Baseball-Reference.com |accessdate=2009年9月17日 }}</ref>、史上初の一日5本塁打を記録した<ref name="library"/>。
 
[[1950年]]から3年連続で首位打者を獲得。[[1954年]][[5月2日]]には[[ダブルヘッダー]]第一試合で3本塁打、第二試合で2本塁打<ref>{{cite web by|url=http://www.baseball-reference.com/players/gl.cgi?n1=musiast01&t=b&year=1954|title=Stan Musial 1954 Batting Gamelogs|language=英語||work=Baseball-Reference.com |accessdate=200919559月17日 }}</ref>、史上初の一日5本塁打を記録した<ref name="library"/>。[[1955年]][[7月12日]]ミルウォーキー開催の第22回オールスターゲームのスコア5-5の延長12回裏、先頭打者として打席に向かうとき、自軍のベンチに向かって「残業手当なんかいらないだろう。これでこの試合は終わりにするからな」と宣言し、[[フランク・サリバン]]の初球を叩いて右翼席へサヨナラソロ本塁打を放つ<ref>[[ハンク・アーロン]]「ハンク・アーロン自伝 I had a hammer.」[[講談社]]、1993年、120頁。ISBN 4-06-206365-4。</ref>。[[1957年]]37歳で7度目の首位打者を獲得した。MVPの投票では二冠王[[ハンク・アーロン]]の239ポイントに9ポイント及ばなかった<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/awards/awards_1957.shtml#NLmvp |title=Baseball Awards Voting for 1957 |language=英語||work=Baseball-Reference.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>。
 
{{by|1957年}}37歳で7度目の首位打者を獲得した。MVPの投票では二冠王[[ハンク・アーロン]]の239ポイントに9ポイント及ばなかった<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/awards/awards_1957.shtml#NLmvp |title=Baseball Awards Voting for 1957 |language=英語||work=Baseball-Reference.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>。
 
[[{{by|1958年]]}}5月13日には史上8人目となる3,000本安打を達成<ref name="Chronology">{{cite web |url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Stan_Musial_1920&page=chronology|title=Stan Musial from the Chronology|language=英語||work=BaseballLibrary.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>。シーズン終了後にカージナルスが[[日米野球]]で来日した際は、[[稲尾和久]]と[[杉浦忠]]から本塁打を放っている。
 
{{by|1959年}}に初めて打率が3割を割り込み、3割以上は16年で途切れる。
 
{{by|1962年}}は42歳でリーグ3位の打率.330を記録した。
 
[[1959年]]に初めて打率が3割を割り込み、3割以上は16年で途切れるも、[[1962年]]は42歳でリーグ3位の打率.330を記録した。[[{{by|1963年]]}}8月12日に今シーズン限りでの引退を表明し、9月25日に背番号6は永久欠番となり、9月29日の試合で引退<ref name="Chronology"/>。引退時に29のリーグ記録、17のメジャー記録、9のオールスター記録を保持していた<ref name="library">{{cite web |url=http://www.baseballlibrary.com/ballplayers/player.php?name=Stan_Musial_1920|title=The Ballplayers - Stan Musial |language=英語||work=BaseballLibrary.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>。
 
=== 引退後 ===
引退後はカージナルス球団副社長も務め、[[1967年のワールドシリーズ]]制覇時は[[ゼネラルマネージャー|GM]]として貢献した。
 
[[1969年]]、[[アメリカ野球殿堂|野球殿堂]]入り。[[2006年]]には[[DHLホームタウン・ヒーローズ]]に選出されている
 
[[2006年]]には[[DHLホームタウン・ヒーローズ]]に選出されている。
 
2013年1月19日、セントルイスの自宅で死去<ref>[http://www.stltoday.com/sports/baseball/professional/stan-musial-dies-at/article_663ad0b8-d8fb-5cdd-8fd3-8f397f7a263a.html STAN 'THE MAN' MUSIAL DIES AT 92 : Stltoday] stltoday.com 2013年1月20日閲覧</ref>。{{没年齢|1920|11|21|2013|1|19}}。偶然にも、殿堂入りを果たした[[アール・ウィーバー]]や大横綱の[[大鵬幸喜]]と同じ日だった。
 
== 選手としての特徴 ==
{{節stub}}
 
== 詳細情報 ==
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
===獲得 タイトル・表彰・記録 ===
*[[最優秀選手 (MLB)|MVP]] 3回: 1943年、1946年、1948年
*[[首位打者 (MLB)|首位打者]] 7回: 1943年、1946年、1948年、1950年 - 1952年、1957年
*[[最多打点 (MLB)|打点王]] 2回: 1948年、1956年
 
=== 表彰 ===
*[[最優秀選手 (MLB)|MVP]] 3回: 1943年、1946年、1948年
*[[ルー・ゲーリッグ賞]]:1957年
*[[MLBオールスターゲーム]]選出 1943年、1944年、1946年 - 1963年(24試合出場は最多タイ<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-almanac.com/rb_asm.shtml |title=All-Star Game Records : Miscellaneous Records|language=英語||work=Baseball Almanac.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>)
*[[DHLホームタウン・ヒーローズ]]選出 2006年
 
=== 記録 ===
*[[MLBオールスターゲーム]]選出 1943年、1944年、1946年 - 1963年(24試合出場は最多タイ<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-almanac.com/rb_asm.shtml |title=All-Star Game Records : Miscellaneous Records|language=英語||work=Baseball Almanac.com |accessdate=2008年10月29日 }}</ref>)
*通算安打数:'''3630'''(歴代4位)
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[メジャーリーグベースボールの選手一覧]]
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|musial-stan}}
* {{MLBstats |mlb= |espn= |br=m/musiast01 |fangraphs=1009405 |cube=stan-musial |brm= }}
* [https://www.stan-the-man.com/ Official Site]
* {{bbhof|119602 }}
* [https://www.stan-the-man.com/ Official Site]
* {{MLBstats |mlb= |espn= |br=m/musiast01 |fangraphs=1009405 |cube=stan-musial}}
 
{{アメリカ野球殿堂表彰者 (左翼手)}}
{{Navboxes|title=獲得タイトル・記録業績
|list1=
</span>
 
{{DEFAULTSORT:みゆうしある すたん}}
[[Category:ペンシルベニア州ワシントン郡出身の人物]]
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
[[Category:アメリカ野球殿堂表彰者]]
[[Category:ポーランド系アメリカ人]]
[[Category:チェコ系アメリカ人]]
[[Category:ペンシルベニア州ワシントン郡出身の人物]]
[[Category:1920年生]]
[[Category:2013年没]]
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