「プリンセス プリンセス」の版間の差分
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** 3月21日、TDKレコードより、シングル「放課後授業」でデビュー。この頃、奥居は「ヴォーカル&ベース」から「ヴォーカル&ギター」に、渡辺は「ギター」から「ベース」に、それぞれパート変更する(パート変更の時期は、富田によると「放課後授業」のリリース前<ref>出典『STAR BOX ARTIST FILE』(シンコーミュージック)16ページ</ref>、渡辺によると同シングルのリリース後<ref>出典『いつも心にDIAMONDS』 渡辺敦子著(ビー・アール・サーカス)44〜46ページ</ref>とされており、ライブ年表によると、「放課後授業」発売の約1ヶ月半後の1984年5月8日のシャープ会館イベントがパートチェンジ後の初ライブとされている<ref>出典『PRINCESS PRINCESS』 (シンコーミュージック)39ページ</ref>)。
* '''[[1985年]]'''
** 事務所が与える[[アイドル]]的な仕事に違和を覚えたことや、音楽性の違いから、所属[[芸能事務所|事務所]]をTDKレコードから音楽座(ミュージカル劇団[[音楽座]]とは別の事務所)へと移籍する。ここでバンド名を「'''JULIAN
* '''[[1986年]]'''
** 5月、ミニアルバム『[[Kissで犯罪|Kissで犯罪(クライム)]]』でCBSソニー(現[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]])よりデビュー。この時、バンド名を「PRINCESS PRINCESS」へと再び改名する(名づけ親は[[ムーンライダーズ]]の[[岡田徹]])。この『Kissで犯罪』のプロモーションビデオを事務所関係者が見たことがきっかけで、[[シンコーミュージック・エンタテイメント|シンコーミュージック]]が彼女らへの接触、移籍交渉を開始することになる。
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