削除された内容 追加された内容
Vuurput (会話 | 投稿記録)
「儀礼」分割による訂正
編集の要約なし
 
2行目:
'''三礼'''(さんらい)とは、儒教における[[礼]]に関わる三種類の[[経書]]『[[周礼]]』『[[儀礼 (経書)|儀礼]]』『[[礼記]]』の総称。[[後漢]]の[[鄭玄]]が『[[周礼]]』『[[儀礼 (経書)|儀礼]]』『[[礼記]]』の三書を総合的に解釈する三礼の学を作り上げて以来、この名がある。
 
*『[[儀礼 (経書)|儀礼]]』(ぎらい) - [[前漢]]では『礼』といえば『儀礼』のみを指していた。現存する17篇は[[前漢]]の[[高堂生]]が伝えた士礼部分を主としたもので、この「今文儀礼」高堂生本を「古文儀礼」で校合したものという。現在通行している『儀礼』は[[後漢]]の[[鄭玄]]注、[[唐]]の[[賈公彦]]疏が付けられて『[[十三経注疏]]』に収められている。
*『[[周礼]]』(しゅらい) - 『[[漢書]]』[[芸文志]]には「周官」とあり、[[周]]の官制について書かれている。[[前漢]]、[[武帝 (漢)|武帝]]の時代、民間から発見されたといわれる[[古文経]]である。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官に分けられるが、冬官部分は発見当初からなく、「考工記」という別の文献が当てられている。現在通行している『周礼』は[[後漢]]の[[鄭玄]]注、[[唐]]の[[賈公彦]]疏が付けられて『[[十三経注疏]]』に収められている。
*『[[礼記]]』(らいき) - 『礼』に対する注釈であるが、[[戦国時代 (中国)|戦国]]・[[秦]]・[[漢]]の礼家のさまざまな言説が集められている。『[[漢書]]』[[芸文志]]には「記」141篇とある。[[前漢]]時代、[[戴徳]]が伝えた「大戴記」、[[戴聖]]が伝えた「小戴記」があったが、現在の『礼記』49篇は「小戴記」である。[[唐]]代、『[[五経正義]]』に取り上げられ、[[鄭玄]]注に[[孔穎達]]が疏をつけた『礼記正義』が作られた。『礼記正義』は『[[十三経注疏]]』に収められている。