「東京音頭」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
10行目:
 
=== ヒットへの経緯 ===
[[1933年]]、当時の東京市民すべてが歌えるように改題・改詞され、[[小唄勝太郎]]と[[三島一声]]の歌唱でレコード化され、卑猥さを連想させる歌詞もあって爆発的に流行した。勝太郎の一連のヒット曲に多いハァー(ハー小唄)の歌いだしの、勝太郎の力強い、景気のよい歌声は日本中に響き渡った。レコードの売り上げは発売当時だけで120万枚<ref>1952年時点、ビクター発表。[[丘灯至夫|丘十四夫]]『歌暦五十年』全音楽譜出版社、1954年。</ref><ref>NHK「クイズ日本人の質問」グループ『NHKテレビ クイズ 日本人の質問 3』NHK出版、1996年、181頁。ISBN 4140160845</ref>に達したという。勝太郎にとって、「[[島の娘]]」「[[明日はお立ちか]]」「[[さくら音頭]]」「大島おけさ」「勝太郎子守唄」などと並ぶ代表曲となった。
 
後年、勝太郎が[[テイチクエンタテインメント|テイチク]]に移籍してからは、かつて勝太郎と犬猿の仲といわれた市丸、喜久丸、鈴木正夫によって再吹き込みされた。夜通し続いたことで、西條や中山も眠れずに困ったこともあった<ref>塩澤実信『昭和のすたるじい 流行歌』第三文明社、1991年、55頁</ref>ほどだったという。また、同じ年に流行した[[ヨーヨー]]とともに紹介されることも多い。
28行目:
[[日本プロ野球|プロ野球]]チーム・[[東京ヤクルトスワローズ]]の応援歌となっている。1954年(昭和29年)、後に国鉄スワローズ私設応援団(ツバメ軍団)団長になる[[岡田正泰]]が、巨人側の観客席は大勢のファンで盛り上がっているのに、自分たちが座った[[日本国有鉄道|国鉄]]スワローズ側はガラガラ。そんな様子を見て、1人最前列に下りていき、歌唱応援を始めたのが最初である<ref>[http://www.asahi.com/shopping/tabibito/TKY201209270292.html 日本中が沸いた「東京音頭」、「焦土の都」を踊らせてみたい 東京・日比谷公園 朝日新聞デジタル 2012年9月28日]</ref>。現在は、得点の入った時および本拠地[[明治神宮野球場|神宮球場]]で7回裏の攻撃前([[ラッキーセブン]])に、拡げた[[傘|ビニール傘]](青や緑が多い)を振って歌っている。これも[[1978年]](昭和53年)(当時:ヤクルトスワローズ)の初優勝の前後に、岡田の発案によって始まったものである(なお、戦前の歌詞には[[ツバメ|燕]]が歌いこんであった)。
 
かつてには前奏部分と間奏部分にあわせて「くたばれ[[読売ジャイアンツ|読売]]」と合唱されている。2008年シーズンよりこの歌詞を自粛および、「東京ヤクルト」への差し替えを呼びかけたものの、今以て定着には至っていない。<ref>[http://blog.livedoor.jp/tsubame_okada/archives/50929688.html 東京音頭の前奏 2009年7月17日]</ref>。一方で、くたばれと歌ってもそれを注意してケンカにならないよう呼びかけている<ref>[http://blog.livedoor.jp/tsubame_okada/archives/50625961.html シーズン開幕に向けて2 2008年3月4日]</ref>。
 
かつて、昭和40年代(昭和40年〈[[1965年]]〉~47年〈[[1972年]]〉)頃には、当時[[東京スタジアム (野球場)|東京スタジアム]]を本拠地としていた[[千葉ロッテマリーンズ|東京オリオンズ→ロッテオリオンズ]](現・千葉ロッテマリーンズ)の応援団が東京音頭を使用していたが、同球場の閉鎖に伴う撤退を境に使用されなくなった。この関係から[[2007年]]([[平成]]19年)、[[千葉マリンスタジアム]]開催時の[[セ・パ交流戦]]・ロッテ対ヤクルト戦において「'''東京音頭、譲りました。'''」という[[キャッチフレーズ]]が付けられている。