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== 事件の時代背景と推理 ==
{{seealso|逆コース}}
[[1949年
同年[[1月23日]]に実施された戦後3回目の第24回衆院総選挙では、[[吉田茂]]の[[民主自由党 (日本)|民主自由党]]が単独過半数264議席を獲得するも、[[日本共産党]]も4議席から35議席へと躍進。共産党系の産別会議(全日本産業別労働組合会議)や[[国鉄労働組合]]もその余勢を駆って人員整理に対し頑強な抵抗を示唆、吉田内閣の打倒と「人民政府」樹立を公然と叫び、世情は騒然とした。下山総裁は人員整理の当事者として労組との交渉の矢面に立ち、事件前日の[[7月4日]]には、3万700人の従業員に対して第一次整理通告(=解雇通告)が行われた<ref>{{cite news |title = 第一次分に三万七百 國鉄、整理を通告 残余は中旬から実施 |publisher = 朝日新聞社 |page = 1 |date = 1949-07-05 |accessdate = 2014-07-07}}</ref>。
=== 他殺説 ===
[[松本清張]]は『[[日本の黒い霧]]』を発表。当時日本を占領下に置いていた連合国軍の中心的存在である[[アメリカ陸軍]][[:en:Counterintelligence Corps (United States Army)|防諜部隊]]が事件に関わったと推理した。また下山事件が時効を迎えると、松本を
大新聞の中では、[[朝日新聞]]と[[読売新聞]]が他殺説を報じた。朝日新聞記者の矢田喜美雄は、[[1973年]](昭和48年)に、長年の取材の成果を『謀殺下山事件』に
[[1999年]]
この外には、
==== 他殺説の主張 ====
* 下山が総裁だった当時の国鉄の幹部や従業員の中には、「国鉄マンが鉄道で自殺するはずがない」という矜持が強かった<ref>テレビ東京系列『[[ザ・真相~大事件検証スペシャル]]』[[2004年]][[10月11日]]放送「[[プロ野球再編問題 (1949年)|プロ野球2リーグ分裂]]と国鉄」より。</ref>。
* {{要出典範囲|date=2015年1月|実直な下山が、遺書も残さずに死ぬ訳が無い(国鉄の同僚の[[島秀雄]]・[[加賀山之雄|加賀山]]らの説、[[安部譲二]](父が知己)の説)。}}
* 轢断面やその近辺の出血といった痕跡が無いのは、轢かれる前にすでに死んでいた事を意味する(東大・古畑説)。<ref>[[古畑種基]],1958年.『法医学の話』岩波書店〈岩波新書〉青323. P.25「本件では、損傷のどこにも生活反応がみつからなかったので、われわれは「死後れき断」と判定した(四五ページ参照)。」</ref>
=== 自殺説 ===
事件発生直後から毎日新聞は自殺を主張(毎日新聞が自殺証言のスクープを出したため)。同紙記者[[平正一]]は取材記録を
[[1976年]]
==== 自殺説の主張 ====
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* 失踪の直後、[[平塚八兵衛]]が下山の自宅に事情を聞きに行ったところ、まだ遺体が発見される前だったが、夫人は「ひょっとしたら、自殺じゃないかしら。自殺じゃなければ、いいんですが……」と言った。平塚は後に「奥さんのこの証言をはっきり調書にとっておけば、他殺だなんて議論がでてくるわけがない。家族が一番よく知っているわけだよ」と回顧している。その後、平塚が東京鉄道病院の記録を調べたところ、下山は6月1日に神経衰弱症と胃炎という診断を受け、1日にブロバリン(睡眠薬)0.5グラムを2袋ずつ服用するなど、かなり重篤な状態であった。<ref>『[[刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史]]』新潮文庫、平成16年</ref>
* 下山には事件現場の土地勘もあった。現場はもともと鉄道自殺が多い場所だった。鉄道局長だったころの下山は、自殺対策がらみの仕事で地元と交渉するため、現場付近に来たことがあった。<ref>『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』新潮文庫、平成16年</ref>
* 事件前日に下山はあちこちの要人に面会したり面会を要請し、しかしそれらの先々で用件を言うでも無く「嘆願や脅迫が自宅に来る」とこぼして涙ぐんだりするのみだった。他にも前日から当日朝(GHQ
* 鉄道自殺など一瞬で生命を絶たれる事案の場合、轢断面に出血が無い事もある。胸部は離断していないにもかかわらず内部の臓器がメチャメチャに粉砕されており、これは轢過よりも立った状態での激突が疑わしい(北大・錫谷説)。
* {{要出典範囲|date=2015年12月|結果的には、警察やマスコミによる自殺説の発表は GHQ により差し止められ、労組による他殺という風説が流布されて、後の総選挙での[[日本共産党|共産党]]の躍進が阻止され、日本の共産化が阻止されたのだから、事案そのものは自殺であったとしても、謀略があった事に変わりはない。}}
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