「ニュージョージア島の戦い」の版間の差分

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米軍はニュージョージア島での作戦を掩護をするための砲台の設置を目的として、まずムンダ沖合い10キロに浮かぶレンドバ島に侵攻した。[[1943年]][[6月30日]]早朝、米軍の[[輸送船]]6隻と駆逐艦8隻が襲来し、[[レンドバ島]]に5000名の部隊を上陸させた。同日中に事態を把握した日本軍は、ラバウルより[[一式陸攻]]25機を派遣して米揚陸艦隊に攻撃を行なったが、上陸部隊指揮官[[リッチモンド・K・ターナー|ターナー少将]]の旗艦[[マッコーリー (攻撃兵員輸送艦)|マッコーリー]]
を大破(のち沈没)せしめたものの、[[対空砲]]火によって18機を撃墜され阻止に失敗した。レンドバ島守備隊は僅か140名で、敵襲来を打電したのち消息を絶った。レンドバ島に上陸した米軍はその物量と機械力を駆使し、27時間で重砲の砲台を建設してムンダ方面への砲撃を開始した。
[[ファイル:RendovaMarine90mm.JPG|thumb|220px|レンドバ島の米軍の砲台]]
 
翌月3日にムンダの日本軍南東支隊司令部で会議が開かれ、陸軍は海軍に「ニュージョージア島防衛にこだわった責任を取って支援部隊を送れ」と要求したが、海軍からは「ラバウルの航空部隊は消耗しており、艦隊は燃料不足で出撃できず」と返答された。さらに陸軍の佐々木支隊長がレンドバ島へ逆上陸して重砲を破壊することを提案し海軍に協力を求めたが、上陸に必要な[[大発]]は米軍の砲撃で破壊されており実行は不可能だった。こうした状況の中、レンドバ島逆上陸用の増強部隊を[[コロンバンガラ島]]に輸送した日本艦隊が、クラ沖で米艦隊に迎撃された。この[[クラ湾夜戦]]で日本海軍は米[[軽巡洋艦]]1隻を撃沈し輸送は成功したが、秋山三水戦司令官と三水戦司令部は総員戦死、貴重な駆逐艦を2隻失った。
{{Main|クラ湾夜戦}}
===米軍ニュージョージア上陸===
[[ファイル:Drive toward Munda Point.jpg|thumb|220px|7月前半の戦況]]
[[7月4日]]深夜に、米軍は猛烈な砲爆撃の掩護の下ニュージョージア島南部の沿岸ザナナに3000名を上陸させ、翌日に北部のライスにも部隊を上陸させた。これを受けて佐々木支隊長は、逆上陸のため待機していた[[歩兵第13連隊]]をニュージョージア島北部に派遣。上陸した同連隊は[[ジャングル]]を横切り、15日にザナナの米軍に夜間斬り込みを行い戦果を挙げたが、夜明けと同時に猛烈な集中砲撃にさらされて射程外まで後退した。歩兵第229聯隊も米軍と交戦したが、[[機関銃]]を全て失ったため白兵戦を行なった。後退した第13連隊は22日に攻撃を再開し、28日には米第148歩兵連隊と交戦、百数十名を殺傷し[[貨物自動車|トラック]]15台と[[速射砲]]5門を破壊したが、米軍の砲撃で連隊長の[[友成敏]]大佐が負傷した。
 
一方のアメリカ軍もジャングルと日本軍の抵抗に阻まれ、さっぱり前進できなかった。
 
[[7月4日]]深夜に、米軍は猛烈な砲爆撃の掩護の下ニュージョージア島南部の沿岸ザナナに3000名を上陸させ、翌日に北部のライスにも部隊を上陸させた。これを受けて佐々木支隊長は、逆上陸のため待機していた[[歩兵第13連隊]]をニュージョージア島北部に派遣。上陸した同連隊は[[ジャングル]]を横切り、15日にザナナの米軍に夜間斬り込みを行い戦果を挙げたが、夜明けと同時に猛烈な集中砲撃にさらされて射程外まで後退した。歩兵第229聯隊も米軍と交戦したが、[[機関銃]]を全て失ったため白兵戦を行なった。後退した第13連隊は22日に攻撃を再開し、28日には米第148歩兵連隊と交戦、百数十名を殺傷し[[貨物自動車|トラック]]15台と[[速射砲]]5門を破壊したが、米軍の砲撃で連隊長の[[友成敏]]大佐が負傷した。
日本軍はコロンバンガラ島から兵力を増強させようとし、これを阻止しようとする米海軍・ニュージーランド海軍との間に7月12日、[[コロンバンガラ島沖海戦]]が発生した。
{{Main|コロンバンガラ島沖海戦}}
この海戦で日本軍は勝利し、輸送は成功したが、伊崎二水戦司令官と二水戦司令部は旗艦ごと総員戦死した。
[[ファイル::Clean up new georgia.jpg|thumb|220px|8月の戦況]]
 
[[7月25日]]、米第14軍は猛烈な砲爆撃の掩護の下、[[M3軽戦車]]六両を先頭にムンダへの攻勢を開始した。対戦車装備の乏しい日本軍は[[破甲爆雷]]を用いて肉弾戦を行なったが、多大な損害を出して[[8月4日]]にムンダ飛行場を放棄して戦線を縮小した。8月5日までに各大砲の砲弾は底を突いた。
{{main|{{仮リンク|ムンダの戦い (1943年)|en|Battle of Munda Point|label=ムンダの戦い}}}}
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[[8月15日]]、コロンバンガラ島の防備が厚いと見た米軍はベララベラ島に上陸を開始し、コロンバンガラ島とニュージョージア島は後方を遮断される形となった。ベララベラ島の日本軍守備隊(鶴屋部隊)は600人にすぎず、たちまち苦戦に陥った。上陸したアメリカ軍は陣地を構築し、[[シービー|シービーズ]]が飛行場の建設を始めた<ref>ポッター, 368ページ</ref>。やがて、アメリカ軍に対する反撃がないと確信すると、上陸部隊は海岸沿いに二手に分かれて戦線を北上させ、また[[ニュージーランド軍]]部隊を呼び寄せて戦力の増強を行った<ref>ニミッツ、ポッター、169ページ</ref>。
{{main|{{仮リンク|ベララベラ島の戦い|en|Land Battle of Vella Lavella|label=ベララベラ島の戦い}}}}
[[ファイル:SC180577t.JPG|thumb|220px|ベララベラ島で戦う連合国軍]]
[[8月17日]]、日本軍はベララベラ島ホラニウを強化するため輸送部隊を派遣し、ベラ沖で哨戒中の米艦隊と交戦した。この[[第一次ベララベラ海戦]]で[[日本海軍]]は[[駆潜艇]]4隻を失ったものの輸送は成功した。
{{Main|第一次ベララベラ海戦}}