「スジャーター」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Resto1578 (会話 | 投稿記録)
tmp (可読性向上のためにナビゲーションテンプレートを下部貼り付けタイプに変更しました。)
Verba (会話 | 投稿記録)
3行目:
 
== 概要 ==
[[釈迦]]は6年にわたる生死の境を行き来するような激しい苦行を続けたが、苦行のみでは[[悟り]]を得ることが出来できないと理解する。修行を中断し責めやつしすぎた身体を清めるためやっとの思いで付近のネーランジャラー川(尼連禅河)に沐浴をした。
 
スジャータは「もし私が相当な家に嫁ぎ、男子を生むことがあれば、毎年百千金の祭祀(Balikamma)を施さんしましょう」とニグローダ樹に祈った。その望みの通りになったため、祭祀を行っていた。スジャータの下女はプンナー(PuNNā)樹下に坐していた釈迦を見て、樹神と思い、スジャータに知らせた。すると、彼女スジャータ喜んでその場に赴いて釈迦に供養した。釈迦はスジャータから与えられた[[ライスプディング|乳がゆ]](Pāyāsa)を食してネーランジャラー川に沐浴した。なお『スッタニパータ』では、スジャータはこの乳がゆに、諸天妙汁(Oja)を加えていたと記している。
 
心身ともに回復した釈迦は心落ち着かせて近隣の森の大きな[[ゴータマ・ブッダの菩提樹|菩提樹]]下に座し、(東アジアの伝承では[[12月8日 (旧暦)|旧暦12月8日]]に)遂に叡智を極め悟りを得て[[仏教]]が成道した。
 
一般的に、釈迦がスジャータから乳がゆの供養を得て悟りを得た後に説法して弟子となったのは、[[五比丘]]であり、[[優婆夷]](女性在家信者)ができたのもその後と考えられるが、彼女を最初の優婆夷とする仏典もある。