「ハインリッヒ・エドムント・ナウマン」の版間の差分

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'''ハインリッヒ・エドムント・ナウマン'''(Heinrich Edmund Naumann、[[1854年]][[9月11日]] - [[1927年]][[2月1日]])は、[[ドイツ]]の[[地質学]]者。
 
いわゆる[[お雇い外国人]]の一人で、日本における近代地質学の基礎を築く<ref>[http://dx.doi.org/10.5363/tits.13.8_93 ナウマンゾウの「ナウマン」は-日本で最初の地質学教授のこと] 学術の動向 Vol.13 (2008) No.8 P93-97</ref>とともに、日本初の本格的な[[地質図]]を作成。また[[フォッサマグナ]]を発見したことや、[[ナウマンゾウ]]に名を残す<ref>[[京都大学|京都帝国大学]]の[[槇山次郎]]が、ナウマンゾウを新種登録する際、日本の化石長鼻類研究の草分けであるナウマンにちなんで命名した。</ref>ことで知られる。来日七年後の1882年、下僚のオットー・シュミットが彼の妻と関係をもったことに怒り<ref>[https://en.wikipedia.org/wiki/Heinrich_Edmund_Naumann]<ref>、白昼公然と乱闘事件を起こした罪で、裁判で三百マルクの罰金刑を受けている<ref>[https://en.wikipedia.org/wiki/Heinrich_Edmund_Naumann]<ref>
 
 
== 来歴 ==