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== 概要 ==
内山城は、[[永正]]年間に大井美作入道玄岑が築城したといわれている。戦国時代の城主は信濃国衆・岩村田大井氏。
[[甲斐国]]の[[武田信玄|武田晴信]](信玄)は天文10年から[[信濃侵攻]]を開始し、『[[
内山城代には一時大井貞清に任されるが、同年7月18日に武田家臣の[[小山田虎満|上原伊賀守]](小山田備中守、虎満)が城代となり(『高白斎記』)、虎満は死去まで佐久郡の[[郡代]]を務めている。天文17年([[1548年]])2月14日には、[[小県郡]]上田原における[[上田原の戦い]]において武田方を撃退した[[村上義清]]は内山城を攻めたが、晴信は諏訪[[上原城]]から佐久へ出馬しこれを退けた。
[[天正]]10年([[1582年]])に武田氏が滅亡した後天正11年([[1583年]])に[[徳川家康]]の麾下[[依田信蕃]]らによって攻略され廃城になった。▼
▲[[天正]]10年([[1582年]])に武田氏が滅亡した後、天正11年([[1583年]])に[[徳川家康]]の麾下[[依田信蕃]]らによって攻略され廃城になった。
== 外部リンク ==
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