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小説『源氏物語』→作り物語『源氏物語』。小説と物語の間違いを訂正
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その後桐壺帝から朱雀帝に世は移り、桐壺院崩御と共に[[弘徽殿女御|弘徽殿太后]](朱雀帝の母)側の勢力は日に日に増大する。源氏・左大臣側の衰勢も著しく、主だった後見もいない藤壺は源氏からの更なる求愛に悩まされた末、東宮を守るために[[出家]]を選んだ(「[[賢木]]」)。
 
東宮が[[元服]]し帝となった後は[[太上天皇]]に准ずる母后([[国母]])として、前[[斎宮]](後の[[秋好中宮]])の冷泉帝入内に協力したりと政治手腕を発揮する。37歳の[[厄年]]で重病に伏し、それまでの冷泉帝への後見を源氏に感謝しつつ崩御。「[[薄雲 (源氏物語)|薄雲]]」帖で亡くなったことから、出家後は後世の読者から「'''薄雲女院'''(うすぐも の にょいん)」と呼ばれている<ref>作中では藤壺が「[[女院]]」と呼ばれたことはない。また立后前も藤壺が「[[女御]]」であるという確かな記述がないことから、「日の宮」は即ち「[[妃]]の宮」([[内親王]]出身の皇妃)であろうとする説もあり、研究者の間でも意見が分かれている。</ref>。
 
没後、源氏が[[紫の上]]に藤壺のことをうっかり語った際、それを恨み源氏の夢枕に立ったりもしている(「[[朝顔 (源氏物語)|朝顔]]」)。また源氏が紫の上を見出したのも、そもそもは紫の上が藤壺の姪で彼女に瓜二つの美貌であったためであり(「若紫」)、後に朱雀院から女三宮[[降嫁]]の話を持ちかけられた折も、女三宮が紫の上同様に藤壺の姪であることにも心動かされて承諾してしまう(「[[若菜 (源氏物語)|若菜]]上」)。源氏の生涯を通じて彼の女性関係の根源に深く関わり続けた、永遠の恋人といえる存在であった。