「東京大神宮」の版間の差分

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なお、現在同神社での神前結婚式及び披露宴については、[[松屋 (百貨店)|松屋]]の関連会社であるアターブル松屋が運営しており、「'''東京大神宮マツヤサロン'''」の名称を用いている。
 
=== 模擬結婚式の模様(明治34年3月3日) ===
此の日来賓は細川男爵、宮地掌典、下田歌子、三島通良の諸氏を始め華族女学校生徒百余名、百花燎乱の装い両側の席定まるや、礼法師範の田島秀子女史は媒酌人の立場で入り来り、下座にて一礼し、足並正しく、正面伊弉諾・伊弉冉尊の軸、供された神酒、神饌の前に跪き一礼の後、銚子等を改め座に退くや、聟に擬された某は、聟附媒酌人を従え、新婦某は嫁附媒酌人を従え、静々と両側から歩を運ぶ。先ず床間の前に跪き、神を拝して各々定めの席に着く。床の方から左の方は夫の席、右方は新婦である。媒酌人はそれぞれ其の下手に座す。
 
次に、酌人某2人、いずれも芳紀15・6才ばかりなるが、婦媚なる花顔に髪を下髪となし、白衣を纏い、海老茶の袴を穿ち、肩には薫色燎爛たる綾を掛け、次の間から歩み来る。これは伊勢大神宮にて用いる明衣の制に依りたるもので、男ならば、素袍、女なれば五衣を折りて肩にかけたるに象りたるものと謂わる。
 
かくて、酌者両嬢は床の前に跪き、1人は口〆を紙の上に載せ、之を新夫の前に置く。1人は其の助手である。新婦の時も亦同じ。次に此の三宝を床の上に返し、更に土器を重ねたる三宝を新夫の前に置く。酌人又起て、酒器を執り、新夫土器を執って三度これを受く。これより新婦の前に三宝を置く。酌人新婦に土器を捧ぐ。新婦三度これを受けて後、其の土器を下に移し、第2、第3の土器にて、新夫から新婦に及ぶ。其の度数作法前に同じ。これ即ち三々九度の様なるが、これが済めば、酌人酒器を下座に移し、新夫の前にある三宝を捧げて床の上に置き、次に酒器を置き、退きて次の間に下る。
かくて媒人は礼の畢るを告げ、新夫婦各起ちて床の前に跪き、神を拝して起ち別室に入る。 
(雑誌祖国 明治34年3月15日号)
 
== 交通 ==