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== ジュニア時代 ==
4歳から[[荏原湘南スポーツセンター|荏原SSC]]で[[テニス]]を始め、以降同クラブに所属し本格的にテニスを学ぶ。ジュニア時代には[[藤沢市立大庭中学校]]在学中の1999年に[[全国中学生テニス選手権大会]]シングルスで優勝<ref>{{cite web|url=http://www.jta-tennis.or.jp/tournaments/pdf/zenchu/rekidai/dantai_b_.pdf|title=歴代優勝者<個人戦/男子シングルス>…決勝記録 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[日本テニス協会]]}}</ref>。[[藤沢翔陵高等学校]]在学中の2001年3月には[[全国選抜高等学校テニス大会|高校選抜]]で出場試合全てに勝利しチームを準優勝に導くと<ref>{{cite web|url=http://www.jta-tennis.or.jp/tournaments/pdf/highschool_senbatsu/2001/boy.pdf|title=第23回全国選抜高等学校テニス大会 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[日本テニス協会]]}}</ref>、4月の[[トヨタジュニアテニストーナメント|トヨタジュニア]]で優勝し<ref>{{cite web|url=http://www.jta-tennis.or.jp/tournaments/pdf/toyota_jr/2001/boys.pdf|title=トヨタジュニアテニストーナメント 2001 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[日本テニス協会]]}}</ref>、8月の[[全国高等学校総合体育大会テニス競技大会|高校総体]]でも単複優勝<ref>{{cite web|url=http://www.jta-tennis.or.jp/tournaments/pdf/interhigh/2001/bs.pdf|title=全国高等学校総合体育大会(テニス競技) |accessdate=2010年4月15日 |author=[[日本テニス協会]]}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.jta-tennis.or.jp/tournaments/pdf/interhigh/2001/bd.pdf|title=全国高等学校総合体育大会(テニス競技) |accessdate=2010年4月15日 |author=[[日本テニス協会]]}}</ref>。11月には[[全日本テニス選手権]]シングルスに初出場。2回戦で第13シードの[[宮尾祥慈]]を 6-4, 0-6, 7-5 のフルセットで下す活躍で[[本村剛一]]との3回戦まで進出した<ref>{{cite web|url=http://alljapantennis.jp/pdf/records/2001/ms.pdf|title=第76回全日本テニス選手権大会2001 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[日本テニス協会]]}}</ref>。2002年には[[劉泰瑋]]([[台湾]])と組んで出場した[[2002年ウィンブルドン選手権|2002年ウィンブルドン]]の男子ジュニアダブルス部門でベスト8進出の成績を収めると、10月の[[世界スーパージュニアテニス選手権大会]]では男子シングルスで1994年大会の[[鈴木貴男]]以来8年ぶりの同部門日本人決勝進出を果たし準優勝<ref>{{cite web|url=http://www.osaka-sports.gr.jp/events2/sjt2002/index.html|title=2002ワールドスーパージュニアテニス選手権大会 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[関西テニス協会]]}}</ref>。11月には[[全日本テニス選手権]]に2度目の出場。この年はシングルスとダブルスの2部門に出場し、シングルスでは第11シードの[[茶園鉄也]]との4回戦まで<ref>{{cite web|url=http://alljapantennis.jp/pdf/records/2002/ms.pdf|title=第77回全日本テニス選手権大会シングルス本戦 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>、[[岩見亮]]と組んだダブルスでは2回戦まで進出している<ref>{{cite web|url=http://alljapantennis.jp/pdf/records/2002/md.pdf|title=第77回全日本テニス選手権大会男子ダブルス本戦 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>。これらの活躍により高校時代には全日本男子18歳以下年間ランキングで1位を記録するなど<ref name="japanrank">{{cite web|url=http://www.jta-tennis.or.jp/JTA/history/ranking.html|title=過去の全日本ランキング |accessdate=2010年4月15日 |author=[[日本テニス協会]]}}</ref>既に日本トップジュニアの一人として知られていた。
 
== プロ転向後 ==
=== 2003年-2005年 ===
[[藤沢翔陵高等学校]]を卒業後の[[2003年]]4月にプロ入りし[[ミキプルーン]]に所属。2004年は11月に第7シードで出場した[[全日本テニス選手権]]シングルスで[[寺地貴弘]]との準決勝まで進出<ref>{{Cite web|url=http://alljapantennis.jp/pdf/records/2004/ms.pdf|title=第78回全日本テニス選手権大会男子シングルス本戦 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>。一方、[[岩見亮]]と組んで第4シードで出場したダブルスでは準優勝の成績を収めた<ref>{{Cite web|url=http://alljapantennis.jp/pdf/records/2004/md.pdf|title=第78回全日本テニス選手権大会男子ダブルス本戦 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>。12月からの[[テニス日本リーグ]]では出場全試合で勝利し<ref>{{Cite web|url=http://web.archive.org/web/20051219104437/http://www.tennis.or.jp/jta/tonament/jitugyou/JapanLeague/19jl/scoor/1rm.pdf|title=第19回テニス日本リーグ |accessdate=2010年4月15日 |author=テニス実業団委員会}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://web.archive.org/web/20051219104437/http://www.tennis.or.jp/jta/tonament/jitugyou/JapanLeague/19jl/scoor/2rm.pdf|title=第19回テニス日本リーグ |accessdate=2010年4月15日 |author=テニス実業団委員会}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://web.archive.org/web/20051219104437/http://www.tennis.or.jp/jta/tonament/jitugyou/JapanLeague/19jl/scoor/mk.pdf|title=第19回テニス日本リーグ |accessdate=2010年4月15日 |author=テニス実業団委員会}}</ref>大会MVPを受賞。[[2005年]]からはサーキット大会でも結果を残すようになり、フューチャーズ4大会で2優勝2準優勝の記録を残すと、7月には[[デビスカップ]]アジア/オセアニアゾーン・グループ Iプレーオフ2回戦対[[デビスカップタイ代表|タイ代表]]戦で[[デビスカップ日本代表]]に初選出。消化試合となった第5試合のシングルスで起用され[[ソンチャット・ラティワタナ]]と対戦。これを 6-3, 6-3 のストレートで下し代表デビュー戦を勝利で飾った<ref>{{Cite web|url=http://app.jta-tennis.or.jp/cgi-bin/mailmagazine/backno2.cgi?no=21|title=デ杯増刊号 VOL.4.鈴木がスリチャパンを破り、タイに完勝。 |accessdate=2010年4月15日 |author=TENNIS FAN}}</ref>。9月には予選を勝ち上がって出場した[[ベトナム・オープン]]男子シングルスでツアー本戦初出場。1回戦で当時世界ランク10位、大会第1シードの[[マリアノ・プエルタ]]([[アルゼンチン]])と対戦。自身初のトップ10選手との対戦でフルセットに持ち込む健闘を見せるも 4-6, 7-6<sup>(5)</sup>, 4-6 のスコアで惜敗した<ref>{{Cite web|url=http://www.atpworldtour.com/Share/Event-Draws.aspx?e=890&y=2005|title=Ho Chi Minh City |accessdate=2010年4月16日 |author=[[男子プロテニス協会|ATP]]}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://dantri.com.vn/c26/s26-80200/puerta-lao-dao-o-tran-dau-ra-mat-giai-vn-mo-rong.htm|title=Puerta lao đao ở trận đấu ra mắt giải VN Mở rộng|date=2005年9月25日 |accessdate=2010年4月16日 |author=báo điện tử Dân trí trên}}</ref>。第2シードで出場した11月の全日本テニス選手権シングルスでは自身初の決勝進出を果たす。決勝では[[岩渕聡]]と対戦し 2-6, 6-1, 6-7<sup>(6)</sup> のフルセットで惜敗。<ref>{{Cite web|url=http://alljapantennis.jp/pdf/records/2005/ms.pdf|title=男子シングルス本戦 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>一方岩見と組んで第3シードで出場したダブルスでも決勝に進出したが、決勝戦では岩渕聡&/[[松井俊英]]組に 4-6, 6-3, 3-6 のフルセットで敗れ単複準優勝となった<ref>{{Cite web|url=http://alljapantennis.jp/pdf/records/2005/md.pdf|title=男子ダブルス本戦 |accessdate=2010年4月15日 |author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>。これらの活躍によりシングルスランクも年初の500位から年末には302位まで上昇し、全日本年間ランキングでも前年の9位から2位に上昇した<ref name="japanrank"></ref>。
 
=== 2006年 ===
[[2006年]]は6月の[[コメリカバンク・チャレンジャー]]シングルスで初めてチャレンジャー大会決勝に進出し準優勝。9月には[[アジアテニス連盟]]の主催により[[ウズベキスタン]][[タシュケント]]で行われた「アジアン選手権」決勝で[[デニス・イストミン]]([[ウズベキスタン]])<ref>{{Cite web|url=http://gosoeda.blog.tennis365.net/archives/article/15966.html|title=決勝進出!|date=2006年9月8日 |accessdate=2010年4月16日 |author=添田豪 OFFICIAL BLOG}}</ref>を 7-6<sup>(2)</sup>, 6-4 のストレートで下し優勝<ref>{{Cite web|url=http://gosoeda.blog.tennis365.net/archives/article/16093.html|title=優勝!|date=2006年9月9日 |accessdate=2010年4月16日 |author=添田豪 OFFICIAL BLOG}}</ref>。大会優勝者に与えられる翌年の全豪オープンシングルス主催者推薦の切符を手にした。これらの活躍によりシングルス世界ランクも年末には188位と100番台にまで上昇させ、この時点で日本男子トップに立つ<ref name="japanrank"></ref>。また12月に[[カタール]][[ドーハ]]で開催された[[2006年アジア競技大会]]にも日本代表として選出され、シングルス銅メダル、団体銀メダルを獲得した。
 
=== 2007年 ===
2007年は前年のアジアン選手権で勝ち取った主催者推薦により[[2007年全豪オープン男子シングルス||全豪オープン]]で[[グランドスラム (テニス)|4大大会グランドスラム]]にデビュー。1回戦で当時世界ランク10位、大会第9シードの[[マリオ・アンチッチ]]([[クロアチア]])と対戦し、 4-6, 3-6, 2-6 のストレートで敗れた。6月には[[2007年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]シングルス予選に出場。予選決勝で[[ボーダン・ウリラッハ]]([[チェコ]]) 7-5, 6-4, 1-6, 2-6, 2-6 の逆転で敗れ、本戦出場を逃した。翌8月には[[トロフェオ・マンタ・オープン]]シングルス決勝で[[エドゥアルド・シュワンク]]([[アルゼンチン]]) 6-4, 6-2 のストレートで下し、チャレンジャー大会初優勝。11月の[[ブリスベン・チャレンジャー]]シングルスでも準優勝の成績を収めた。またこの年の8月から新たに元プロテニス選手の[[増田健太郎 (テニス選手)|増田健太郎]]をコーチに迎えている<ref>{{Cite web|url=http://www.jta-tennis.or.jp/players/male/soeda_go.html|title=プレーヤー:添田 豪|date=2009年8月28日 |accessdate=2010年4月16日 |author=[[日本テニス協会]]}}</ref>。
 
=== 2008年 ===
シングルスでは3月の[[島津全日本室内テニス選手権大会|島津全日本室内]]決勝で[[マティアス・バッキンガー]]([[ドイツ]]) 7-6, 2-6, 6-4 をフルセットで下し優勝すると、4月の[[プサン・オープン・チャレンジャー]]決勝では[[盧彦勳]]と対戦し、6–0, 0–0 とした所で盧の途中棄権により優勝。5月の[[ニューデリー2チャレンジャー]]決勝でも盧との対戦となり、これを 6-3, 3-6, 6-4 のフルセットで下し優勝。9月の[[チャイナ・オープン (テニス)|チャイナ・オープン]]本戦1回戦で中国人選手を破りATPツアー初勝利を挙げると、2回戦では同大会第3シード、当時世界ランク11位の[[フェルナンド・ゴンサレス]]([[チリ]])と対戦。添田はこのトップ選手からファーストセットを先取すると、セカンドセットでもタイブレークまで持ち込む接戦を見せたが、ファイナルセットでは調子を取り戻したゴンザレスに押し切られ、結果 6-3, 6-7<sup>(4)</sup>, 1-6 のスコアで惜敗<ref>{{Cite web|url=http://www.latercera.cl/contenido/83_54370_9.shtml|title=Fernando González avanzó con esfuerzo en su debut en Beijing|date=2008年9月25日 |accessdate=2010年4月16日 |author=[[La Tercera]]}}</ref>。11月最終週の[[ダンロップワールドチャレンジテニストーナメント]]決勝では[[李亨澤]]を 6–2, 7–6<sup>(7)</sup> のストレートで下し、この年のチャレンジャーツアーで[[トマス・ベルッチ]]([[ブラジル]])、[[ティムラズ・ガバシュビリ]]([[ロシア]])、[[クリストフ・リーン]]([[ベルギー]])らと並ぶ年間最多優勝タイの4大会優勝を記録する。この年は他にも11月第3週の[[慶応チャレンジャー国際テニストーナメント|慶応チャレンジャー]]で準優勝、またチャレンジャー2大会でベスト4の成績を収める活躍でシングルスランクも年初の212位から年末には114位まで大幅に上昇。またダブルスでもこの年は2大会で準優勝し、11月には自己最高の291位を記録。一方7度目の出場となった全日本テニス選手権男子シングルスでは2度目の決勝に進出。決勝では同じミキプルーン所属の[[伊藤竜馬]]を 6-7<sup>(2)</sup>, 6-3, 6-4 のフルセットで下し、悲願の初優勝を果たした<ref>{{Cite web|url=http://alljapantennis.jp/nikke83rd/articles/article35.html|title=男子シングルス決勝 添田 豪 vs 伊藤 竜馬|date=2008年11月16日|accessdate=2010年4月16日|author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>。
 
=== 2009年 ===
2009年は前年と打って変わって不調に陥り、ツアーでも1~2回戦負けや予選落ちを重ねてランクも大きく下降してしまう。しかし年後半に入ると次第に成績が上向いていくようになり、ノーシードで出場した10月の[[ロイヤルバンク・オブ・スコットランド・チャレンジャー]]では準決勝で当時95位、第2シードの[[ケビン・キム]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]]) 7-5, 6-1 のストレートで下す活躍で11ヶ月ぶりにチャレンジャー大会決勝に進出。決勝では[[イリア・ボゾリャック]]([[セルビア]])と対戦し、これを 3-6, 6-3, 6-2 のフルセットで下し優勝<ref>{{Cite web|url=http://www.atpworldtour.com/Share/Event-Draws.aspx?e=1768&y=2009|title=Tiburon|accessdate=2010年4月16日|author=[[男子プロテニス協会|ATP]]}}</ref>。11月には、ディフェンディングチャンピオンとして「自分の力を出し切って、圧勝したい」と語って<ref>{{Cite web|url=http://alljapantennis.jp/nikke84th/articles/article07.html|title=男子第1シードは連覇に向け順調に「Go!」|date=2009年11月10日|accessdate=2010年4月16日|author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>第1シードで臨んだ全日本テニス選手権男子シングルスで、フルセットに縺れたのも準決勝の[[三橋淳 (テニス選手)|三橋淳]]戦のみという隙のない試合運びで大会2連覇を果たす<ref>{{Cite web|url=http://alljapantennis.jp/nikke84th/pdf/draw/ajt_msm09.pdf|title=男子シングルス本戦|accessdate=2010年4月16日|author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>。また岩見と組んで2年ぶりに出場したダブルス部門でも決勝に進出したが、こちらは決勝戦で[[岩渕聡&]]/[[松井俊英]]組に 2-6, 7-6<sup>(3)</sup>, 6-2 のフルセットで惜敗し、同部門3度目の準優勝となった<ref>{{Cite web|url=http://alljapantennis.jp/nikke84th/pdf/draw/ajt_mdm09.pdf|title=男子ダブルス本戦|accessdate=2010年4月16日|author=[[全日本テニス選手権]]}}</ref>。
 
=== 2010年 ===
1月には従来の増田に加え、新たなコーチとして[[イタリア]]の元プロテニス選手[[ダビデ・サンギネッティ]]と契約<ref>{{Cite web|url=http://www.tennis-navi.jp/blog/go_soeda//015799.php|title=新年!!|date=2010年1月5日|accessdate=2010年4月16日|author=添田豪 公式ブログ - Go! Soeda! -}}</ref>。4月には[[空旅ドットコム]]が新たなスポンサーとなった<ref>{{Cite web|url=http://www.atpress.ne.jp/view/14468|title=添田 豪選手(プロテニスプレイヤー)との所属契約締結のお知らせ|date=2010年4月9日|accessdate=2010年4月20日|author=株式会社空旅ドットコム}}</ref>。3月にトレーニングと並行して出場したアディダス早稲田フューチャーズと甲府フューチャーズで貫禄の2週連続優勝。そのトレーニングの成果は続く遠征で発揮され、5月はマンタチャレンジャーで今季チャレンジャー大会初優勝、6月のウィンブルドン前哨戦となったノッティンガムチャレンジャーでは準優勝。[[2010年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]では予選決勝で[[ジェシー・ウィッテン(アメリカ)]]に2-6, 2-6, 6-2, 4-6 <ref>{{Cite web|url=http://2010.wimbledon.org/en_GB/scores/draws/qs/index.html|title=Wimpledon Championships website Gentlemen's Qualifying Singles|date=2010年6月17日|accessdate=2010年9月26日}}</ref>で敗れたものの、上位選手の欠場による敗者復活枠[[ラッキールーザー]][[2007年全豪オープン]]以来となる4大大会本戦出場を果たした。日本人男子選手は[[錦織圭]]と2人が本戦に同時出場。4大大会の本戦に日本人男子が2人同時に出場するのは[[松岡修造]]、[[辻野隆三]]が揃って出場した[[1994年全豪オープン]]以来の快挙となった。1回戦では予選勝者の[[マーティン・フィッシャー(オーストリア)]]に4-6, 3-6, 1-6<ref>{{Cite web|url=http://2010.wimbledon.org/en_GB/scores/draws/ms/r1s4.html|title=Wimpledon Championships website Gentlemen's Singles|date=2010年6月22日|accessdate=2010年9月26日}}</ref>で敗退。続いて出場したキャンベルズ・ホール・オブ・フェイム・[[テニス・チャンピオンシップス殿堂選手権]]では、第8シードで元21位の[[テーラー・デント]](アメリカ)の猛攻に耐えながら 6-4, 3-6, 6-4 <ref>{{Cite web|url=http://www.atpworldtour.com/posting/2010/315/mds.pdf|title=Campbell's Hall of Fame Tennis Championships
MAIN DRAW SINGLES|date=2010年7月5日|accessdate=2010年9月26日}}</ref>と接戦を制し、試合後「勝ったことが信じられない」と語っている<ref>{{Cite web|url=http://www.atpworldtour.com/News/Tennis/2010/07/27/Newport-Monday-Brown-Wins-Grass-Opener.aspx|title=ATP Brown Prevails In Newport Opener; Past Champ Dent Falls |date=2010年7月5日|accessdate=2010年9月26日}}</ref>。年の最後の4大大会ある全米オープンでは第2シードとして臨んだ予選1回戦で[[杉田祐一]]と対戦、雨天により3日に渡って順延される中、大方の予想を裏切り、4-6, 6-2, 2-6 <ref>{{Cite web|url=http://www.usopen.org/en_US/scores/draws/qs/r1s1.html|title=US OPEN Men's Qualifying Singles|date=2010年8月26日|accessdate=2010年9月26日}}</ref>で敗退。「負けられないということを変に意識してしまった」と敗北を認めている<ref>テニスマガジン2010年11月号123頁, 豪ing My Way 第9回</ref>。その後もコンスタントに結果を残し、9月20日付けのランキングで自身の最高位である106位を更新し、104位となった。[[2010年アジア競技大会|広州アジア大会]]にも日本代表として選出され、シングルスと団体で銅メダルを獲得した。
 
=== 2011年 ===
[[2011年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]では1回戦で[[ミハイル・ユージニー]]に 5-7, 2-6, 4-6 で、[[2011年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]では1回戦で[[ジョー=ウィルフリード・ツォンガ]]に 3-6, 6-7(4), 2-6 、[[2011年全米オープン (テニ男子シングル)|全米オープン]]では1回戦で[[ケビン・アンダーソン]]に 1-6, 3-6, 0-6 で敗れ4大大会の初戦を突破することは出来なかった。[[タイ・オープン]]では予選から勝ち上がりベスト8に進出。[[ジャパン・オープン・テニス選手権|楽天ジャパンオープン]]では1回戦で[[ラファエル・ナダル]]に 3-6, 2-6 で敗れた。
 
=== 2012年 ===
1月の[[チェンナイ・オープン]]では予選から勝ち上がり、準々決勝では[[スタニスラス・ワウリンカ]]を 6-4, 6-4 で破りATPツアー初のベスト4に進出した。準決勝では[[ヤンコ・ティプサレビッチ]]に 1-6, 4-6 で敗れた。
 
2月10日、日本が27年ぶりに復帰した[[デビスカップ2012|デビスカップ]]ワールドグループの1回戦の[[デビスカップクロアチア代表|クロアチア]]戦のシングルス第1試合で、世界ランク55位で格上の[[イワン・ドディグ]]に 6-7(3), 3-6, 6-4, 6-3, 7-5 、4時間5分のフルセットの死闘の末、勝利。1981年にデビスカップが現行制度となってから、日本はワールドグループで1981年と1985年に戦った経験があったが、どちらも全試合敗退に終わっており、この勝利は日本人選手のワールドグループでの初勝利という歴史的な1勝となった。2勝2敗で迎えた最終試合で[[イボ・カロビッチ]]に 6-7(4), 1-6, 4-6 、通算成績2勝3敗(添田の1勝と錦織圭の1勝)で惜しくも敗れ、初の2回戦(ベスト8)8には進めなかったが、2月13日付けの世界ランキングで、90位から81位に上がった。
 
[[2012年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]では、シングルスは1回戦[[ドミトリー・トゥルスノフ]](ロシア) 1-6, 4-6, 4-6 で敗退したものの、[[盧彦勳]]と組んだ男子ダブルスの1回戦で[[ジェイミー・マリー]](イギリス)&/[[カーステン・ボール]](オーストラリア)組に 7-6, 4-6, 6-3 で勝利し、全種目部門を通じて4大大会での初勝利を挙げた。
 
6月11日発表のランキングにより錦織圭と共に[[ロンドンオリンピック (2012年)|ロンドンオリンピック]]の出場権を獲得し、五輪への初出場が決定した。6月27日には伊藤竜馬の出場も発表され、五輪のテニス競技に日本男子選手が3人出場するのは、4人だった1924年(大正13年)の[[パリ五輪オリンピック (1924年)|パリオリンピック]]以来88年ぶりの快挙となった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/06/27/kiji/K20120627003555090.html 伊藤 繰り上がりで五輪へ 男子3人は88年ぶり快挙] - [[スポニチ]]、2012年6月27日</ref>。
 
6月26日、[[2012年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]のシングルス1回戦で世界ランク116位の[[イーゴリ・クニツィン]](ロシア) 6−3, 6−2, 6−1 のストレートで破り、4大大会のシングルスで初勝利を挙げた。[[錦織圭]]も1回戦を突破し、ウィンブルドンで2人の日本人男子選手がシングルス2回戦に進んだのは、1973年(昭和48年)の[[九鬼潤]]、[[坂井利郎]]以来39年ぶりの快挙となった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2012/06/27/kiji/K20120627003555050.html 添田 四大大会初勝利 日本人男子2人の初戦突破は39年ぶり] - スポニチ、2012年6月27日</ref>。2回戦では第9シードの[[フアン・マルティン・デル・ポトロ]](アルゼンチン) 2-6, 3-6, 6-1, 4-6 で敗れた。[[アトランタ・テニス選手権]]では準々決勝で[[錦織圭]]を 6-2, 6-1 で破りベスト4に進出し大会後のランキングで自己最高の47位を記録した。
 
[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるテニス競技|ロンドン五輪]]では[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるテニス競技・男子シングルス|シングルス]]では1回戦で[[マルコス・バグダティス]](キプロス) 7-6(6), 6-7(5), 2-6 で敗れた。錦織と組んだ[[ロンドンオリンピック (2012年) におけるテニス競技・男子ダブルス|ダブルス]]でも1回戦で[[北京オリンピックにおけるテニス競技|北京五輪]]金メダルの[[ロジャー・フェデラー|フェデラー]]&/[[スタニスラス・ワウリンカ|ワウリンカ]]組(スイス) 7-6(5), 4-6, 4-6 で敗れた。[[2012年全米オープン (テニ男子シングル)|全米オープン]]では1回戦で[[マーディ・フィッシュ]](アメリカ) 6-7(3), 6-7(2), 3-6 で敗れた。
 
=== 2013年 ===
[[2013年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]では、1回戦でワイルドカードの[[ルーク・サヴィー(オーストラリア)]] 6-7, 6-3, 6-2, 6-3で退けたが、2回戦で第7シードの[[ジョー=ウィルフリード・ツォンガ]](フランス) 3-6, 6-7, 3-6に敗れた。
 
全豪直後の1月27日から始まった[[マウイ・チャレンジャー]]では第1シードかつ前年王者として順当に勝ち上がり、決勝では[[ミーシャ・ズベレヴ(ドイツ)フ]] 7-5, 7-5で下し、2年連続優勝を飾った。
 
===2015年===
[[2015年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]では[[エリアス・ウマーイメル]]に勝利し2回戦進出も第31シードの[[フェルナンド・ベルダスコ]]に敗れる。大会終了後に発表された今大会の各項目ランキングで添田のサーブ速度時速222キロが、スピードランキング第10位にランクインされた。<ref>[http://www.ausopen.com/en_AU/scores/extrastats/index.html ]</ref> 4月、[[全米男子クレーコート選手権]]1回戦では元世界ランキング1位の[[レイトン・ヒューイット]]に4-6, 7-6 (7-3), 6-3で勝利。5月、ルコック・ソウル・オープンで[[鄭現]]に勝利し優勝した。
 
== プレースタイル ==
106行目:
{| class="wikitable"
|- bgcolor="moccasin"
| チャレンジャー (1718)
|}
 
178行目:
| {{flagicon|CHN}} 烏海
| ハード
| {{flagicon|SAF}} [[ラーレイベン・クラーセン]]
| 7–5, 6–4
|- bgcolor="moccasin"
236行目:
| {{flagicon|KOR}} [[鄭現]]
| 3-6, 6-3, 6-3
|- bgcolor="moccasin"
| 18.
| 2014年6月29日
| {{flagicon|CAN}} ウィニペグ
| ハード
| {{flagicon|SVN}} [[ブラジュ・カウチッチ]]
| 6–7(4), 6–4, 6–2
|}