「党の指導性」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
42行目:
[[シンガポール]]の憲法上は指導政党の概念はなく<ref>[http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/222/022212.pdf シンガポール憲法の改正]</ref>、選挙は複数政党の競合で行われるが、[[勝者総取り方式]]の{{仮リンク|集団選挙区|en|Group Representation Constituency}}を主とする選挙制度や与党落選地区への行政による報復などにより、建国以来[[人民行動党]]が議会議席のほとんどを占め続けている。例えば2006年の総選挙では、66.6%の得票である与党人民行動党が97.6%の議席を獲得している<ref>[http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kz/ksk/grp/12/rp200907.pdf シンガポールの選挙制度 ~与党が議席の95%を占める選挙制度とは?~ ]北海道シンガポール駐在員事務所 2009年7月20日</ref>。
 
[[日本国]]の[[日本国憲法|憲法]]に指導政党の規定はないが、いわゆる“[[55年体制]]”が確立した[[1955年]]以降、10年間程の例外時期を除いて[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の独占状態になっている。[[1996年]]の[[小選挙区比例代表並立制]]の導入により更にこれが強まった。[[第47回衆議院議員総選挙|2014年の総選挙]]では30%の得票で60%の議席を占有している。
[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)政権下の[[ドイツ]]における国家に対する党の位置づけは明確ではない。[[アドルフ・ヒトラー]]個人を党および[[民族共同体]]の指導者(フューラー、[[総統]])とした。1933年、ナチ党は政権獲得後に[[1933年3月ドイツ国会選挙|選挙]]を行い、その勝利を「ナチ党及びその指導者であるヒトラーが民族と[[ライヒ]]を指導する」体制が確立されたものと喧伝し、ヒトラーとナチ党が国家を指導すると主張した<ref>南、指導者-国家-憲法体制の構成、4p</ref>。1933年7月31日には「政党新設禁止法」によりナチ党を単独の政党とし、12月1日には「党と国家の統一を保障するための法律」が公布され、党と国家は一体のものであると定義されたが、1942年の「ナチス党の法的地位に関する指導者命令」でこの定義は削除されることになった<ref>南、指導者-国家-憲法体制の構成、7-11p</ref>。ただし、ナチス政権下では法よりもフューラーの意思が重要視され、明確に党の指導性を認めた成文法制定や、憲法改正は行われなかった。このため[[マルティン・ボルマン]]は「ナチス党の地位は法律の規定によっては正しく把握しうるものではなかった」と評している<ref>南、指導者-国家-憲法体制の構成、11p</ref>。
 
[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)政権下の[[ドイツ]]における国家に対する党の位置づけは明確ではない。[[アドルフ・ヒトラー]]個人を党および[[民族共同体]]の指導者(フューラー、[[総統]])とした。1933年、ナチ党は政権獲得後に[[1933年3月ドイツ国会選挙|選挙]]を行い、その勝利を「ナチ党及びその指導者であるヒトラーが民族と[[ライヒ]]を指導する」体制が確立されたものと喧伝し、ヒトラーとナチ党が国家を指導すると主張した<ref>南、指導者-国家-憲法体制の構成、4p</ref>。1933年7月31日には「政党新設禁止法」によりナチ党を単独の政党とし、12月1日には「党と国家の統一を保障するための法律」が公布され、党と国家は一体のものであると定義されたが、1942年の「ナチス党の法的地位に関する指導者命令」でこの定義は削除されることになった<ref>南、指導者-国家-憲法体制の構成、7-11p</ref>。ただし、ナチス政権下では法よりもフューラーの意思が重要視され、明確に党の指導性を認めた成文法制定や、憲法改正は行われなかった。このため[[マルティン・ボルマン]]は「ナチス党の地位は法律の規定によっては正しく把握しうるものではなかった」と評している<ref>南、指導者-国家-憲法体制の構成、11p</ref>。
 
[[サッダーム・フセイン]]政権下の[[イラク]]は[[1963年]]以降、[[アラブ社会主義]]を掲げる[[バアス党#イラク・バアス党|バアス党]]による事実上の一党独裁であったが、憲法に「指導政党」とは明記されていなかった。1970年憲法では「最高の国家機関」は「革命司令部評議会」(第37条)で、その議長が「共和国大統領」(第38条)だが、その構成員の一部は「社会主義アラブ・バアス党」の地域指導者から選出する事が明記されていた<ref>[http://ci.nii.ac.jp/naid/110000212818 イラク共和国暫定憲法 - 国立情報学研究所]</ref>。