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[[南北戦争]]が勃発すると、[[北軍]]が[[アメリカ連合国|南部]]の港を[[封鎖]]したため、綿花輸出が激減した。これは連合国側(南部)が意図的に輸出を減らしたという側面もあり、それによって主要輸出先であるイギリスに連合国を承認させ、あわよくば戦争に介入してもらおうと考えた結果だった。しかし、イギリスとフランスは[[エジプト]]の木綿へと目を向けてしまった。イギリスとフランスはエジプトのプランテーションに多額の投資をし、エジプト政府の[[イスマーイール・パシャ]]はヨーロッパの銀行などから多額の融資を獲得した。1865年に南北戦争が終わると、イギリスやフランスはエジプトの木綿から再び安価なアメリカの木綿に戻り、エジプトは[[赤字]]が膨らみ1876年に国家破産に陥った。これはエジプトが1882年に[[イギリス帝国]]の事実上の[[保護国]]となる原因となった。
 
[[ファイル:Cotton exhibit at Louisiana State Exhibit Museum in Shreveport IMG 3353.JPG|300px|thumb|right|[[ルイジアナ州]][[シュリーブポート (ルイジアナ州)|シュリーブポート]]にある博物館にある絵。ルイジアナ州は木綿生産地として知られている。]]
[[ファイル:Cotton field.jpg|thumb|300px|収穫の様子(アメリカ、[[オクラホマ州]]。1890年代)]]
 
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