「鶴岡市立加茂水族館」の版間の差分

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| image2 = [http://www.cradle-ds.jp/pdf/2014-07.pdf 加茂水族館の初代からの写真ほか]
}}
しかし、[[大正]]期に[[鶴岡駅]]が開業して[[羽越本線]]が整備されると、外港としての地位が凋落して衰退。さらに[[高館山|高舘山]]をはさんで町外れにある旧・湯野浜村の[[湯野浜温泉]]に[[1930年]]([[昭和]]5年)、鶴岡駅から[[庄内交通|庄内電気鉄道]]・[[庄内交通湯野浜線|湯野浜線]]が開業するにあたり、鉄道が通らない加茂町中心部近くに「'''山形県水族館'''<ref name="KamoBlog20080420">[http://kamo-kurage.jp/kanchobog/20080420/ (財)日本動物園水族館協会「古賀賞」受賞して](鶴岡市立加茂水族館 2008年4月20日)</ref>」(看板表記は「加茂が地元有志の水族館」<ref name="Cradle24">{{PDFlink|[http://www.cradle-ds.jp/pdf/2014-07.pdf 出羽庄内地域文化情報誌「Cradle」 No.24]}}(Cradle事務局 2014年7月1日発行)</ref>)が篤志家組合によって設立され、当館の端緒となった(初代館長は湯野浜温泉の旅館「亀や」社長)。
 
戦時中に水族館は廃止されて県に譲渡され、男子青少年の修練施設の'''海洋道場'''となり、戦後も'''山形県水産学校'''(現・[[山形県立加茂水産高等学校]])の仮校舎となっていたが、県から加茂町に建物が戻り、鶴岡市に編入合併された翌年の[[1956年]](昭和31年)、10年以上の歳月を経て「'''鶴岡市立加茂水族館'''」として水族館が再開館した。
 
[[高度経済成長]]期にあって[[東京オリンピック]]が開催された[[1964年]](昭和39年)、[[豪雪地帯|特別豪雪地帯]]の当地ではにあって従前の冬季休館を余儀なくされていた状況を改善する目的で、通年営業が出来る建物での新館が、旧館から西側約500mに移転・開業。[[秋田県]]男鹿水族館(現・[[秋田県立男鹿水族館|男鹿水族館GAO]])および[[新潟市]]立新潟水族館(現・[[新潟市水族館 マリンピア日本海]])といった大型水族館が[[国道7号]]沿道かつ羽越本線沿線でどちらも鶴岡市から約150[[キロメートル|km]]の隣県に開館した[[1967年]](昭和42年)には市の意向で、湯野浜温泉一帯の観光開発を目的とする[[第3セクター]]の株式会社[[庄内観光公社]]に売却され「'''庄内浜加茂水族館'''」となった。翌年度には入館者数が過去最高の「21万7372人」となった。
 
しかし、庄内観光公社の湯野浜温泉地区にある他施設の経営失敗により、当館の利益は同施設の赤字穴埋めに使われ、当館は[[1971年]](昭和46年)末を以って閉鎖、従業員も全員解雇された。自主的に残った元従業員4人が自らの住居を担保にしたり、[[生命保険]]を解約するなど金策をして水族館の生き物の餌代などを捻出しては世話をしていたが、その窮状が[[荘内日報]]で伝えられると市民からの寄付も受けるようになり、翌[[1972年]](昭和47年)3月には経営問題が未解決のまま再開館した。
 
同年6月には地元出身者が経営する<ref name="diamond20140722">[http://diamond.jp/articles/print/56384 落ちこぼれ水族館が「クラゲで世界一」に変わるまで 加茂水族館の名物館長が振り返る「波乱万丈半生記」](ダイヤモンド・オンライン 2014年7月22日)</ref>[[佐藤商事]]([[東京都]])が負債1億4000万円を含めて経営を引き継いだ。それでも経営は上向かず、[[1976年]](昭和51年)[[10月29日]]の[[酒田大火]]の日には強風と高波により当館は大きな被害を受け、さらに[[安定成長]]期に入ったため入館者数は長期低落傾向を示した。競合相手の新潟市立新潟水族館が[[1990年]]([[平成]]2年)に移転オープンしさらに大型化して注目される中、打開策として[[バブル景気]]期から計画し多額の資金を投じて[[1993年]]([[平成]]6年)に多額の資金を投じて実現した人気の[[ラッコ]]の飼育・展示でさえ低落傾向を止めることが出来ず、かえって負債を増やす結果になった。
 
[[1997年]]度(平成9年度)は過去最低の入館者数9万2183人となったが、[[サンゴ]]の水槽で偶然クラゲが発生すると、それを見逃さずに展示に結びつける[[セレンディピティ]]があり、ここから反転攻勢が始まった<ref>{{cite news |title=全力で「バカ」をやれば道が開ける、世界一のクラゲ水族館に学ぶ大逆転の秘策|author= |agency=|publisher=JB Press |date=2013-02-13 |url=http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37089|accessdate=2013-12-30}}</ref>。クラゲに特化した展示や商品開発をすることで10万人/年度の入館者数に戻し、[[2000年]](平成12年)にはクラゲ展示種類数日本一となり、った。競合相手の秋田県立男鹿水族館が建て替えのため一時閉館した[[2002年]](平成14年)には市が買い戻して35年振りに「'''鶴岡市立加茂水族館'''」に名称復帰した<ref name="diamond20140722"/>。[[2005年]](平成17年)にクラゲ展示種類数世界一となり、[[2008年]](平成20年)には[[日本動物園水族館協会]]より第22回「[[古賀賞]]」を受賞、さらに[[下村脩]]の[[ノーベル化学賞]]受賞の際には当館が全国的に注目されて多くの入館者が訪れる幸運も得た。[[2009年]]度(平成22年度)には入館者数が1968年度の「21万7372人」を超えた。市から競合相手[[補助金]]なしで運営し、黒字から1億2千万円を市に寄付した秋田県立男鹿水族館<ref>{{PDFlink|[http://www.t-hoanpref.orakita.lg.jp/030_servicewww/030_40_safetycontents/030_40_11_ebook1349077560389/digitalbookfiles/258kabu5.pdf 電気と保安 2014年 夏季号 vol.258]}}(東北電気保安協会 2014年7月1日)</ref>。経営概要書
株式会社 男鹿水族館]}}(秋田県)</ref>や新潟市立新潟水族館<ref>{{PDFlink|[https://www.city.niigata.lg.jp/shisei/gyoseiunei/shiteikanri/kakubu_kakuku/bunka_sport/shisetsu/bunkaseisaku/suizokukan.files/25syushihoukoku.pdf 新潟市水族館指定管理者 平成25年度収支報告書]}}(新潟市)</ref>は自治体からの補助を受けて運営されているが、当館は市からの[[補助金]]なしで運営し、黒字から1億2千万円を市に寄付した<ref>{{PDFlink|[http://www.t-hoan.or.jp/030_service/030_40_safety/030_40_11_ebook/digitalbook/258.pdf 電気と保安 2014年 夏季号 vol.258]}}(東北電気保安協会 2014年7月1日)</ref>。
 
[[半世紀]]使用した旧館から、東隣に新館を建設して<ref name="mainichi-np-2014-5-22">長南里香(2014年5月22日). “加茂水族館:「クラゲの世界」巨大水槽で堪能−−内覧会”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref>、[[2014年]](平成26年)[[6月1日]]に移転・開館した<ref name="mainichi-np-2014-6-2" />。鉄筋コンクリート地上3階建てで、延べ床面積が約4,000m&sup2;と旧館の約2.5倍となり<ref name="mainichi-np-2014-5-22" />、クラネタリウムも4倍規模になった。総工費約30億円のうち約27億円が[[合併特例債]]であり、その1/3にあたる9億円分をミニ公募債([[地方債#公募地方債|住民参加型市場公募地方債]])で調達することとして、1回目の募集の3億円分を「加茂水族館クラゲドリーム債」として発行したところ、発売20分で完売するほどの盛況を見せた。また、新館開業からの1年間で入館者数は83万5796人を数え、クラゲ特化が始まった年のそれの9倍以上にのぼった。
 
[[1968年]](昭和43年)から館長を務め、経営危機の際にも身銭を切り、クラゲ特化の先導もした[[村上龍男]]が、2015年(平成27年)3月で退任<ref name="mainichi-np-2014-7-13">長南里香(2014年7月13日). “この人に聞く:鶴岡市立加茂水族館館長・村上龍男さん”. [[毎日新聞]] (毎日新聞社)</ref>。奥泉和也副館長が後任として昇格した<ref>{{cite news |title=加茂水族館新館長に奥泉氏を選任 鶴岡市開発公社|author= |agency=|publisher=山形新聞|date=2015-03-20 |url=http://yamagata-np.jp/news/201503/20/kj_2015032000466.php|accessdate=2015-04-01}}</ref>。
 
=== 年表 ===
* [[1930年]]([[昭和]]5年) - [[庄内交通|庄内電気鉄道]]<ref group="注">・[[1943年]](昭和18年)[[10月1日]]、庄内電鉄とバス事業者4社が合併して設立された[[庄内交通]]の運営になった。</ref>[[庄内交通湯野浜線|湯野浜線]]が[[鶴岡市#旧 鶴岡市|鶴岡市]](当時)の[[鶴岡駅]]({{ウィキ座標|38|44|23.2|N|139|50|8.7|E|region:JP|地図|name=国鉄/庄内交通・鶴岡駅}})と[[加茂町 (山形県)|加茂町]](当時)の[[湯野浜温泉駅]]({{ウィキ座標|38|46|53.9|N|139|45|10.5|E|region:JP|地図|name=庄内交通・湯野浜温泉駅}})との間に開通するのに伴い、同町[[湯野浜温泉]]への観光客増加を見越して同温泉では旅館の増改築が盛んになされていたが、観光の目玉として同町内に地元有志の水族館組合によって「'''山形県水族館'''<ref name="KamoBlog20080420"/>」(看板表記は「加茂水族館」<ref name="Cradle24"/>、{{ウィキ座標|38|45|45.5|N|139|43|47|E|region:JP|地図|name=山形県水族館のおおよその所在地(現・山形県立加茂水産高等学校)}})が設立された<ref name="Cradle24">{{PDFlink|[http://www.cradle-ds.jp/pdf/2014-07.pdf 出羽庄内地域文化情報誌「Cradle」 No.24]}}(Cradle事務局 2014年7月1日発行)</ref><ref name="JSFS2009">{{PDFlink|[https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/75/2/75_2_297/_pdf 水産研究のフロントから 鶴岡市立加茂水族館~クラゲ水族館]}}(日本水産学会誌 Vol.75 (2009) No.2)</ref>。
* [[1944年]](昭和19年) - 山形県へ譲渡され、水族館を廃止して、戦時下における青少年男子の修練施設・'''[[海洋道場]]'''となった<ref name="Cradle24"/><ref name="gatta!20100605">{{PDFlink|[http://www.okaze.co.jp/business/publication/gatta/backnumber/pdf/vol070.pdf フリーマガジン「ガッタ」 第70号]}}(大風印刷 2010年6月5日)</ref>。
* [[1945年]](昭和20年)[[8月15日]] - [[終戦]]