「琉球の声放送」の版間の差分

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[[1950年]][[1月21日]]、[[呼出符号|コールサイン]]AKAR、周波数1400kc(現在の[[キロヘルツ|kHz]]と同義)、出力500wにて本放送を開始。当時は[[琉球列島米国軍政府]]情報教育部が運営していたいわば[[国営放送|国営放送局]]であった。[[1953年]]、[[琉球大学]]の[[キャンパス]]に社屋・放送施設を移転。その際コールサインをKSAR、周波数740kc、出力1kwにそれぞれ変更した。
 
[[1954年]][[4月]]、琉球列島米国民政府から[[琉球大学財団]]にスポンサー運営主体が移譲し、[[民間放送|民間放送局]]として再スタート。その後[[6月]]にラジオ沖縄社(現存するROK[[ラジオ沖縄]]とは別法人)に委託し放送を続けたが[[7月]]に琉球大学財団との提携を解消。経営難により委託賃貸料が払えなくなったといわれている。
 
その後[[9月]]に[[琉球放送]]が設立し、琉球大学財団から琉球の声の社屋・放送施設を委託されRBC琉球放送として放送されるようになった。(以後の沿革は[[琉球放送#沿革|琉球放送・沿革]]の項を参照)