「バターン死の行進」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]後の[[マニラ軍事裁判]]等において、第14軍の司令官の本間雅晴や捕虜移送の責任者であった第14軍兵站監[[河根良賢]]少将は、死の行進の責任者として有罪の判決が下り、[[死刑]]に処された。既に述べたように、バターン陥落後に捕虜への人道的な扱いを命じた本間は<ref>マイケル・ノーマン エリザベス・M・ノーマン『バターン死の行進』河出書房新社、2011年, 521頁</ref>、戦時中の部下の捕虜への過酷な待遇や残虐行為について知らず、軍事裁判で初めて事実を知ることとなった。
 
=== 反論 (出典あちこちは)===
{{出典の明記|date=2015年7月|section=1}}
{{要出典範囲|date=2015年11月16日|バターン死の行進は、アメリカの過剰な戦時広報であるという意見を持つ日本人も多く、日本軍の残虐性を否定する意見もある。また、バターンの報復とした日本人捕虜に対する虐待について、連合国からの謝罪がないことを問題視する声もある}}。