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[[ペルシア戦争]]での威信を利用したアテナイが急激な軍備拡張と諸ポリスの占領・隷属化を進め、ギリシア最強の[[都市国家]]として拡張していく様子に対し、他の多くの[[ポリス]]はアテナイの専横的かつ強圧的な振る舞いを苦々しく感じていた。アテナイが帝国主義的な振る舞いを加速するに連れデロス同盟内の[[ポリス]]からも反発が起こるようになった。そして元々農業国で[[ペルシア戦争]]のもう一つの戦勝功績国[[スパルタ]]は、こうしたアテナイの拡張・侵略政策と相容れない[[ポリス]]を支援して両者は激しく対立するようになる。
 
紀元前431年、アテナイと[[スパルタ]]を中心とするペロポネソス同盟の間に[[ペロポネソス戦争]]が開始された。陸戦に強いが国内に多くの農奴及び奴隷を抱える[[スパルタ]]、海戦に強いが国内に多くの奴隷及び国外に多数の隷属都市を抱える[['''アテナイ]]'''は、共に政治的な不安定さと国家組織の未発達から長期間の遠征が無理であったため、指導者[[ペリクレス]]は籠城戦を選択する。陸での決戦を避けて戦力を温存、強大な海軍と合わせ海外の植民地を維持し長期戦に耐える計画であった。
 
紀元前429年、アテナイ城内に蔓延した[[疫病]](19世紀には[[ペスト]]説が有力であったが、実際は別の伝染病であったと考えられる)によってペリクレスを含めた多数の人間が死亡した後、漸次隷属させていた植民地が離反するなどしてアテナイは劣勢に立たされ、戦争は紀元前404年にスパルタの勝利の内に終結した。