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'''ボールトンポール'''('''Boulton Paul Aircraft Ltd''')は[[1914年]]から[[1961年]]の間活動したイギリスの[[航空機]]メーカーである。前身は[[1797年]]に創立した工具メーカーで[[1915年]]から航空機の組立を始めた。[[1797年]]、[[ノリッチ]]に工場を構えた。
 
[[第一次世界大戦]]中は[[ソッピース キャメル]]、[[RAF F.E.2]]、[[第二次世界大戦]]中は[[フェアリー バラクーダ]]、戦後は[[デ・ハビランド バンパイア]]など主に他社の設計した航空機を生産していたが、自社開発の[[ボールトンポール オーヴァーストランド]][[爆撃機]]でイギリス初の動力旋回銃座を開発して以来、航空機メーカーというよりも[[ブリストル ブレニム]]や[[ロッキード ハドソン]]等の各種爆撃機に装備される、動力旋回銃座の製造メーカーとしての方がイギリスに貢献している。だが、航空機の自社開発を断念した訳では無く、WW2初期には得意の旋回機銃製造の利点を生かして、固定機銃を持たない珍しい[[戦闘機]][[ボールトンポール デファイアント]]を製作している。しかし、野心作ボールトンポール デファイアントは動力旋回銃座の重量増によって戦闘機としては失敗作となり、珍機・駄作機として有名になって、同機は後世にボールトンポール社の評価を落としてしまう一因となってしまった
 
だが、航空機の自社開発を断念した訳では無く、WW2初期には得意の旋回機銃製造の利点を生かして、固定機銃を持たない珍しい[[戦闘機]][[ボールトンポール デファイアント]]を製作している。しかし、野心作ボールトンポール デファイアントは動力旋回銃座の重量増によって戦闘機としては失敗作となり、珍機・駄作機として有名になって、同機は後世にボールトンポール社の評価を落としてしまう一因となってしまった。
なお、ブラックバーン社が[[急降下爆撃機]][[ブラックバーン スクア]](スキュア)の生産に追われていて余力が無いために、デファイアントの類似品的機体であるブラックバーン社の艦上戦闘機[[ブラックバーン ロック]]の生産をボールトンポール社が肩代わりしていた。ロックの生産機数は136機であり、全てボールトンポール社が生産した。この生産の際、工場にはデファイアント用とロック用の2種の異なる旋回銃座が並ぶこととなり生産効率に支障をきたしていたという。なお、ロックもデファイアントと同様、戦闘機としては使い物にならなかった。
 
[[1961年]]にダウティ・グループに買収されて、ダウティ・エアロスペース (Dowty Aerospace) になった。[[1992年]]、ダウティ・エアロスペースがTI グループに買収され、[[2000年]]にはTI グループがスミス・インダストリーズ (Smiths Industries) と合併し、ボールトンポールの工場はスミス・エアロスペースの傘下に入った。しかし、[[2007年]]にはスミス・エアロスペースが[[GE・アビエーション]]に買収された。
 
== エピソード ==
なお余談だが、ブラックバーン社が[[急降下爆撃機]][[ブラックバーン スクア]](スキュア)の生産に追われていて余力が無いために、デファイアントの類似品的機体であるブラックバーン社の艦上戦闘機[[ブラックバーン ロック]]の生産をボールトンポール社が肩代わりしていた。ロックの生産機数は136機であり、全てボールトンポール社が生産した。この生産の際、工場にはデファイアント用とロック用の2種の異なる旋回銃座が並ぶこととなり生産効率に支障をきたしていたという。なお、ロックもデファイアントと同様、戦闘機としては使い物にならなかった
 
なお、ロックもデファイアントと同様、戦闘機としては使い物にならなかった。
 
== 関連項目 ==