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* [[ランカスター・バーンストーマーズ]] (2016 - )
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'''藤江 均'''(ふじえ ひとし、[[1986年]][[1月27日]] - )は、[[大阪府]][[堺市]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[アトランティック・リーグ]]の[[ランカスター・バーンストーマーズ]]所属している
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[上宮太子中学校・高等学校|上宮太子高等学校]]卒業後の{{by|2004年}}から、父の勧めで、当時地元の堺市に拠点を置いていた[[NOMOベースボールクラブ]]に入部。昼はチームスポンサー企業の[[マルハン]]でアルバイトをして夜に練習するという生活を送る。入部1年目に[[野茂英雄]]から直々に[[フォークボール]]を教わり、実力が開花した
 
在籍2年目の{{by|2005年}}にはチームのエースとなり、[[第76回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]の近畿2次予選で[[パナソニック野球部|松下電器]]を相手に5-3で[[完投]]勝ちを収めるなどの活躍し、NOMOクラブの都市対抗初出場に大きく貢献する。同年[[全日本クラブ野球選手権大会]]でも初出場初優勝に貢献して最優秀選手賞を獲得、{{by|2006年}}にはチームを[[社会人野球日本選手権大会|社会人野球日本選手権]]初出場に導いた。
 
{{by|2007年}}からは[[東邦瓦斯|東邦ガス]]に移籍する。主に抑えを務めたが、{{by|2008年}}の[[第79回都市対抗野球大会|都市対抗野球]]では先発して2試合を1人で投げ抜き、投球回数20回1/3で2失点、奪三振27と好成績を残し、チームの66年ぶりの都市対抗勝利に貢献。優秀選手賞(投手部門)を獲得した。この年の[[2008年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]に2位で指名され入団。
 
=== 横浜・DeNA時代 ===
{{by|2009年}}には、[[5月5日]]にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと[[5月7日|同月7日]]の対[[読売ジャイアンツ]]戦([[東京ドーム]])に先発投手として一軍デビュー。同期で入団した[[細山田武史]]とのバッテリーで、6回2/3を投げて6被安打、奪三振4、自責点1に抑えた。横浜の新人選手によるバッテリーが一軍公式戦に出場した事例は[[横浜大洋ホエールズ]]時代の{{by|1989年}}に、[[石井琢朗|石井忠徳]](後の石井琢朗、当時は投手)と[[谷繁元信]]が[[10月16日]]の対[[阪神タイガース]]戦([[阪神甲子園球場]])でバッテリーを組んで以来であった<ref>{{Wayback |url=http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20090508-OHT1T00027.htm |title=藤江逃した!初登板初勝利ならず…横浜|date=20090510225952 }} - スポーツ報知(2009年5月8日)</ref>。なお、ファームチームの[[横浜DeNAベイスターズ (ファーム)|湘南シーレックス]]では、[[イースタン・リーグ]]公式戦で[[防御率]]1.97、勝利数9、[[勝率]].750を記録。リーグ[[最優秀防御率]]・最多勝利投手賞・勝率1位・優秀投手の4タイトルを獲得した。
 
{{by|2010年}}には、プロ入り後初めて開幕を一軍でスタート。[[3月28日]]の対阪神戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])に先発すると、5回1/3を3安打1失点に抑えて、一軍公式戦での初勝利を挙げた。シーズン通算では一軍公式戦で2勝3敗1[[ホールド]]を記録したが、防御率は7.52にとどまった。
 
{{by|2011年}}には、救援投手として一軍へ定着。公式戦47試合の登板で3勝0敗、15ホールド、防御率1.58を記録した。
 
{{by|2012年}}には、一軍の[[セットアッパー]]としてプロ入り後自己最多の52試合に登板。[[10月3日]]の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦(横浜)で一軍初セーブを挙げたほか、チーム2位の21ホールドを記録した。[[10月7日|同月7日]]の対巨人戦([[東京ドーム]])では、10回裏に[[矢野謙次]]を迎えた場面で登板した。しかし初球でサヨナラ本塁打を喫したため、[[NPB]]史上25度目(24人目)の公式戦1球敗戦投手になった。チームもこの敗戦によって、同ドームの巨人戦で1勝も挙げられずにシーズンを終えている<ref>週刊ベースボール2012年10月22日号95ページ</ref>。
 
{{by|2013年}}には投手キャプテンに就任。公式戦の開幕に出遅れた影響などで一軍公式戦への登板数は25試合にとどまったが、3勝1敗7ホールド、防御率1.27、WHIP0.88、被本塁打0という成績を残した。
 
{{by|2014年}}には、一軍公式戦16試合で1勝1敗1ホールドを記録したしかしだが、[[10月3日]]に球団から[[戦力外通告]]を受けた<ref>[http://www.baystars.co.jp/news/2014/10/1003_03.php 2015年度選手契約について]DeNA球団公式サイト2014年10月3日配信</ref>。
 
=== 楽天時代 ===
DeNAからの戦力外通告後は、[[12球団合同トライアウト]]への参加を見送る一方でトライアウト翌日([[2014年]][[11月11日]])に[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]秋季キャンプの入団テストへ参加。藤江もこのテストに合格したため、終了後に入団契約を結んだ<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/4744.html 山崎浩司選手・藤江均選手の入団会見] 東北楽天ゴールデンイーグルスオフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。</ref>。背番号は'''98'''。なお、同年[[12月30日]]放送の『[[プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達]]』([[TBSテレビ]]制作)では、戦力外通告の直後から楽天への入団が決まるまでの藤江の様子に密着した取材の模様が紹介された<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/4744.html 『プロ野球戦力外通告クビを宣告された男達 』2014年12月30日放送回 ] gooTV 2015年11月7日閲覧。</ref>。
 
{{by|2015年}}には、公式戦開幕直後の[[3月31日]]に移籍後初の出場選手登録を果たす。4月には一軍公式戦2試合に登板したが、いずれも失点を喫したため[[4月16日|16日]]の登録抹消後は登板の機会がなかった。[[10月2日]]に球団から自身2度目の戦力外通告を受けた<ref>[http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/5744.html 来季の選手契約に関して]楽天球団公式サイト2015年10月2日配信</ref>。
 
=== 楽天退団後 ===
[[2015年]][[11月10日]]に打者3人に対する[[プロ野球#打撃|シートバッティング形式]]の12球団合同トライアウト([[草薙球場]])へ初参加[[白根尚貴]]から左中間フェンス直撃の[[三塁打]]を浴びる一方で[[角晃多]]から空振りで三振を奪った<ref>{{cite news|title=合同トライアウト詳細|url =http://www.nikkansports.com/baseball/news/1562569.html|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-11-10}}</ref>。[[MLB]]の[[サンディエゴ・パドレス]]では、藤江のこの結果を受けて11月22日に[[高知市東部総合運動場野球場|高知東部球場]]で開催した日本国内初のトライアウトに招待選手として藤江を参加させた<ref name="sildeslow">{{cite news|title=元燕・江村がサイドスロー!パドレス入団テストでキラリ|url =http://www.sanspo.com/baseball/news/20151123/npb15112305020001-n1.html|newspaper=サンケイスポーツ|date=2015-11-23}}</ref>。
 
前述したトライアウトではパドレスとの契約に至らなかったが、「いずれ野球を辞めるにしても、身体が動くうちに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の野球を経験したい」として{{by|2016年}}には同国アメリカでの[[独立リーグ]]での現役続行を模索した<ref>[http://bylines.news.yahoo.co.jp/doimayumi/20160130-00053942/ 元横浜DeNAベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルスの藤江均、アメリカへ挑戦!!]Yahoo!ニュース(土井麻由実執筆記事)2016年1月30日配信</ref>。同年[[3月29日]]には、MLBの球団とマイナー契約を結ぶことを目標に[[アトランティック・リーグ]]の[[ランカスター・バーンストーマーズ]]と契約した<ref>{{cite news|title=前楽天・藤江、米国挑戦へ 独立リーグ・ランカスターと契約|url =http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/03/04/kiji/K20160304012146810.html|newspaper=スポーツニッポン|date=2016-3-4}}</ref>。
 
== プレースタイル ==
[[速球|ストレート]]の平均球速は平凡であるが被打率.213を記録(2011年)している<ref name=y12>{{Cite book|和書|author=|year=2012|title=野球小僧 プロ野球&世界野球選手名鑑2012|publisher=白夜書房|pages=143頁|id=ISBN 978-4-86191-872-8}}</ref>。[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[シュート (球種)|シュート]]、2種類の[[フォークボール#スプリットフィンガード・ファストボール|スプリット]]を持つ<ref name=y12></ref>。
 
== 詳細情報 ==