「鶴岡市立加茂水族館」の版間の差分

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戦時中に水族館は廃止されて県に譲渡され、男子青少年の修練施設の'''海洋道場'''となり、戦後も'''山形県水産学校'''(現・[[山形県立加茂水産高等学校]])の仮校舎となっていたが、県から加茂町に建物が戻り、鶴岡市に編入合併された翌年の[[1956年]](昭和31年)、10年以上の歳月を経て「'''鶴岡市立加茂水族館'''」として水族館が再開館した。
 
[[高度経済成長]]期にあって[[前東京オリンピック|東京オリンピック]]が開催された[[1964年]](昭和39年)、[[豪雪地帯|特別豪雪地帯]]の当地にあって従前の冬季休館を余儀なくされていた状況を改善する目的で、通年営業が出来る建物での新館が、旧館から西側約500mの「荒崎」と呼ばれる岬に移転・開業。[[秋田県]]男鹿水族館(現・[[秋田県立男鹿水族館|男鹿水族館GAO]])および[[新潟市]]立新潟水族館(現・[[新潟市水族館 マリンピア日本海]])といった大型水族館が[[国道7号]]沿道かつ羽越本線沿線でどちらも鶴岡市から約150[[キロメートル|km]]の隣県に開館した[[1967年]](昭和42年)<ref group="注">国道7号沿道/羽越本線沿線の秋田県立男鹿水族館と新潟市立新潟水族館との間には、当館のほかに「象潟水族館」、「山形県鼠ケ関水族館」(ねずがせきビーチセンター水族館)、「瀬波水族館」もあった。</ref><ref name="Mizkan"/>、市の意向で、湯野浜温泉一帯の観光開発を目的とする[[第3セクター]]の株式会社[[庄内観光公社]]に売却され「'''庄内浜加茂水族館'''」となった。翌年度には入館者数が過去最高の「21万7372人」となった。
 
しかし、庄内観光公社の湯野浜温泉地区にある他施設の経営失敗により、当館の利益は同施設の赤字穴埋めに使われ、当館は[[1971年]](昭和46年)末を以って閉鎖、従業員も全員解雇された。自主的に残った元従業員4人が自らの住居を担保にしたり、[[生命保険]]を解約するなど金策をして水族館の生き物の餌代などを捻出しては世話をしていたが、その窮状が[[荘内日報]]で伝えられると市民からの寄付も受けるようになり、翌[[1972年]](昭和47年)3月には経営問題が未解決のまま再開館した。