「クロム」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
109行目:
 
== 歴史 ==
[[1797年]]に[[フランス]]の[[ルイ=ニコラ・ヴォークラン]]によって[[シベリア]]産の[[紅鉛鉱]](クロム酸鉛、PbCrO<sub>4</sub>)から発見され、酸化状態によってさまざまな色を呈することから[[ギリシャ語]]の χρωμα(chrōma{{lang|el|χρωμα}}(chrōma、色)にちなんで[[ルネ=ジュスト・アユイ]]により命名された。ヴォークランはこの翌年([[1798年]])[[ルビー]]が赤いこと、[[エメラルド]]が緑色であることについて、クロムが[[不純物]]として入っているためであることを発見した。
 
一方で[[秦]]の[[始皇帝]]の[[兵馬俑|兵馬傭坑]]より出土した[[青銅]]の剣や矛・戟・弓矢にもクロムメッキが施されており、それらは2000年以上経った発掘時にも錆びた痕跡が無いほどであった。このクロム技術は秦の古文書には一切残っておらず、その後の時代の出土品にはクロム技術が伝承されていないことから、なぜ秦の時代にクロムが用いられ、そして以後の歴史で失われたのかは兵馬俑の数ある謎の一つとなっている。