「デットマール・クラマー」の版間の差分

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クラマーは、指導者としては西ドイツユース代表監督を務めた時期に[[フランツ・ベッケンバウアー]]をユース代表に抜擢し、公私両面で指導した<ref name="クラマー取材ノート">{{cite web|url=http://www.vivasoccer.net/guest/chujo/note31.htm |title=中条一雄「クラマー取材ノートから(31)」 |publisher=牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会 公式サイト |accessdate=2014年6月28日}}</ref>。
 
[[1960年]]、クラマーは1964年[[東京オリンピック (1964年)|東京オリンピック]]を控えた[[サッカー日本代表|日本代表]]を指導するため、その代行監督として招聘された。[[日本サッカー協会]]は代表強化のために外国人監督を招くことを検討しており、[[成田十次郎]]の仲介や会長である[[野津謙]]の決断で実現した人選だった<ref>中条一雄「[http://www.vivasoccer.net/guest/chujo/note6.htm クラマー取材ノートから(6)]」、牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会。</ref><ref>中条一雄「[http://www.vivasoccer.net/guest/chujo/note7.htm クラマー取材ノートから(7)]」、牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会。</ref>。
 
{{seealso|サッカー日本代表#歴代監督の一覧}}
 
クラマーは、自ら手本となるプレーを見せて実技指導を行った。初歩的な練習の繰り返しに対しては批判もあったが、方針を変えることはなかったという。当時のクラマーの教え子に[[釜本邦茂]]、[[杉山隆一]]らがいた<ref>[http://library.footballjapan.jp/user/scripts/user/story.php?story_id=619 デットマール・クラマー(中)]、賀川サッカーライブラリー。</ref>。
 
[[1964年]]の東京オリンピックでは、サッカー日本代表は[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]を破るなどでベスト8の成績を残した。東京オリンピックが終わった後、任期を終えたクラマーは帰国にたって5つの提言を残した<ref name="joc">三上孝道「[http://www.joc.or.jp/memorial/20080612.html 日本サッカーの父 デッドマール・クラマーの言葉]」、JOCオリンピックメモリアル、2008年6月12日。</ref>。
{{Quotation|
# 強いチーム同士が戦うリーグ戦創設。
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{{seealso|日本サッカー協会指導者ライセンス#歴史}}
 
1975年から1976年、[[バイエルン・ミュンヘン]]を率いて[[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]]で優勝した。その際、人生最高の瞬間ではないかと問われたものの、「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがなかったのです<ref>[http://www.japantopleague.jp/column/sportstory/sportstory_0005.html クラマーコーチと大和魂 メキシコ五輪日本代表]、日本トップリーグ連携機構。</ref>」と答えた。
 
クラマーは「言葉の魔術師」とも呼ばれ、数々の名言を残している<ref name="joc" />。
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}}
 
しかしその一方で口は相当悪かったらしく、コーチと兼任でクラマーの通訳も担当していた[[岡野俊一郎]]度々出るクラマーの罵言雑言を意訳するのに苦労した経験(直訳で伝えると、怒鳴られた選手はショックを受け、その場で泣き出すほど酷かったという)から、会長時代にクラマーと同じく短気で直言癖がある[[フィリップ・トルシエ]]監督の通訳を担当する事となった[[フローラン・ダバディー]]に「トルシエの汚い言葉は意訳して伝えろ、難しければ訳さなくて良い」と注意していた{{要出典|date=2012年12月}}。
 
[[2005年]]、 クラマーは[[日本サッカー協会]]が制定した表彰制度「[[日本サッカー殿堂]]」の第1回受賞者となった<ref name="11plus" />。また2011年に[[ドイツサッカー連盟]](DFB)からDFB名誉賞を受賞した。
 
2015年9月17日、クラマーは[[バイエルン州]]の{{仮リンク|ライト・イム・ヴィンクル|en|Reit im Winkl}}で死去した<ref>{{Cite press release |title=デットマール・クラマー氏 訃報|url=http://www.jfa.jp/news/00007452/|publisher=[[日本サッカー協会]]|date=2015-9-18|accessdate=2015-9-18}}</ref><ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH9L5VF4H9LUTQP02C.html 「日本サッカーの父」クラマー氏死去 東京五輪8強導く] [[朝日新聞]] 2015年9月18日閲覧</ref>。クラマーが亡くなった翌日の9月18日、[[日本プロサッカーリーグ]] (Jリーグ) は9月19日および20日に開催される全公式戦でクラマーに対する黙祷を行うとリリースした<ref name=JL150918/>。
 
== 指導歴 ==