「カンビュセス2世」の版間の差分

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=== カンビュセス2世の死 ===
一方ペルシアでは、カンビュセス2世の兄弟[[スメルディス]](バルディア)が謀反を起こしてアジア全域で王としての承認を受けていた。しかし、まもなくスメルディスはダレイオス1世に殺害され、ダレイオスは自身が王位継承権を主張した。ダレイオスによれば、謀反人は実は本物のスメルディスではなくゴーガウマタという名の[[マギ]]であり、本物のスメルディスは3年ほど前に殺害されていたとのことである。
 
カンビュセスはこの反乱を鎮圧するため進軍を試みたが、成功する可能性がほとんどないことを自覚するに及び、自らの手による死を選んだ(紀元前522年3月)。これは当時カンビュセスの槍持ちであったダレイオスによる記述であり、カンビュセスの死は事故によるものであったとするヘロドトスやクテーシアスによる伝承よりも広く受け入れられている。ただし、実はダレイオス本人が帝位に就くための下準備としてカンビュセスを暗殺したのではないかという推測もされてはいる<ref>[http://www.herodotuswebsite.co.uk/darius.htm www.herodotuswebsite.co.uk], ''"A Commentary on Darius"''</ref>。ヘロドトス(第3巻64)によれば、カンビュセスはシリアの[[エクバタナ]](現在の[[イラン]][[ハマダーン州]])で没した。[[フラウィウス・ヨセフス]]は[[ダマスカス]]、クテーシアスはバビロンとしているが、いずれも事実である可能性はない<ref>A. Lincke, "Kambyses in der Sage, Litteratur und Kunst des Mittelalters", in ''Aegyptiaca: [[Festschrift]] fur Georg Ebers'' (Leipzig 1897), pp. 41-61; および [[:en:History of Persia<!-- リダイレクト先の「[[:en:History of Iran]]」は、[[:ja:イランの歴史]] とリンク -->|History of Persia]] を参照。</ref>。