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'''朴琦緖'''(パク・キソ、[[1950年]] - )は、[[大韓民国|韓国]]の[[犯罪者]]である。過去に[[金九]]を暗殺したという理由で元軍人の[[安斗煕]]を撲殺した。熱烈な金九信奉者で、市民運動家として白凡<ref>金九の号</ref>記念事業会関連活動をしている。
 
== 略歴 ==
[[富川市]]の市内バス運転手。
 
[[1996年]][[10月23日]]、[[1949年]]に起きた[[金九]]暗殺事件の実行犯であった[[安斗煕]]を正義棒<ref>油性ペンで「正義」「安重根義士」のハングル文字を書いた自作の白木の棒。40cmぐらいの大きさ。</ref>で死ぬまで殴り続けて殺害した。安の夫人は隣の部屋で縛られていたが、無事だった。安斗煕は当時79歳の老齢で43年前に公職から退いて偽名を用いて暮らしていたが、度重なる迫害を経てすでにその偽名を使うのもやめていたため、安の所在は周知の事実だった。朴はカトリック教徒で、殺害後は我に返るとまず神父に[[告解]]しその神父に連れられて警察に出頭した。
 
朴は殺害した動機を、同じく安斗煕の処罰に不満を持っていた作家の權重熙の著書『歴史の審判には時効がない』を読んで感化されたことを挙げ、[[孔子]]の[[論語]]の一節を引用して殺人を弁明した。また事件前に神父<ref>出頭した際に同行した神父とは別の人物で、朴が普段通っていた教会の人。</ref>に「安斗煕を自分の手で殺したい」と告白したが、「それが実現したら歴史的なことだ」と言われて勇気づけられたと、後に語っている。
 
裁判では殺人罪で有罪になるが、1審で懲役7年の求刑で5年の宣告、2審では懲役5年の求刑に3年の宣告で確定した。わずか懲役3年の刑を受けただけだったが、[[1998年]]、[[金大中]]政権が発足すると[[三・一運動]]の記念日に大統領から特別赦免を受けて残りの刑期が消滅した。殺人犯であるにも関わらず、1年6ヶ月の服役で釈放された。しかし服役した期間は安斗煕よりも長かった
 
[[2004年]]10月、[[親日]]著作裁判に出廷した[[金完燮]]を暴行して負傷させているが、この時は逮捕すらされなかった。
 
==評価 ==
現在、朴は[[タクシー]]運転手であるが、韓国においては「安斗熙処断者」として英雄扱いで、「議員」「先生」「義士」などの敬称で呼ばれ、度々、メディアにも登場する。に暴行を受けて被害者になった金完燮は、次は「金完燮処断者」として歴史に名を残そうとしているようだと皮肉を述べた。
 
== 脚注・出典 ==