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[[ファイル:Yanagiwara Byakuren&Miyazaki Ryūsuke.jpg|thumb|1921年(大正10年)10月、事件当時の柳原白蓮と宮崎龍介]]'''白蓮事件'''(びゃくれんじけん)は、[[大正]]時代の[[1921年]](大正10年)10月20日、[[福岡県|福岡]]の[[炭鉱]]王・[[伊藤伝右衛門]]の妻で、歌人として知られる[[柳原白蓮]](伊藤燁子「あきこ」)が滞在先の[[東京府|東京]]で出奔し、[[社会運動]]家で[[法学士]]の[[宮崎龍介]]と[[駆け落ち]]した事件である。新聞紙上で妻白蓮から夫への絶縁状が公開され、それに対して夫・伝右衛門から反論文が掲載されるマスコミのスクープ合戦となり、センセーショナルに報じられた。
 
== 事件の経緯 ==
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翌[[1954年]](昭和29年)、戦後に実業家の手に渡った[[別府市|別府]]の旧伊藤家別邸が別府銅御殿ホテルとして改装され、白蓮歌碑が建立されて除幕式に龍介・燁子夫妻が招かれた。夫妻は同年5月に宮崎兄弟追悼会のため熊本を訪れ、燁子は伊藤家出奔の際にすべてを知りながら記事を書かなかった[[熊本日日新聞]]論説主幹で事件当時は[[福岡日日新聞]]の駆け出し記者であった伊東盛一と再会している。この席には[[永畑道子]]が記者として同席している。
 
[[1967年]](昭和42年)2月、燁子死去した。龍介は『[[文藝春秋]]』の同年6月号に回顧録「柳原白蓮との半世紀」を寄せた。4年後の[[1971年]](昭和46年)1月、龍介死去した
 
[[1985年]](昭和60年)9月、NHKで永畑原作『恋の華〜白蓮〜』がドラマ化された<ref>{{Cite web |url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-22175 |title=恋の華〜白蓮〜 |publisher=[[テレビドラマデータベース]] |accessdate=2014-04-08}}</ref>。