「第2軍団パルティカ」の版間の差分

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[[第1軍団パルティカ|第1軍団]]、[[第3軍団パルティカ|第3軍団]]の姉妹軍団とともに第2軍団パルティカは東部前線のために編成される。戦役は成功裏に終わり、パルティアの首都[[クテシフォン]]は陥落した。その後軍団はイタリアのローマ近郊に駐屯、[[アルバーノ・ラツィアーレ|カストラ・アルバナ(Castra Albana)]]を駐屯地とした<ref>この理由で軍団は「アルバニア軍団」とも呼ばれた。</ref> 。この軍団がこの2世紀の間で[[イタリア半島]]に駐在する最初の軍団となった。属州には赴任せず、ローマの本国に駐在するため、この軍団は帝政ローマの不安定化要因に対する備えとしても、または内部反乱分子に対する治安維持部隊としても機能していた。[[3世紀の危機]]にあるように、この時代の皇帝はしばしば[[簒奪者]]の登場に悩まされており、この軍団を首都近郊に駐在させた[[セプティミウス・セウェルス]]は簒奪者の出現の危険性を理解していた。
 
しかしながら、軍団はセウェルスのもとで[[208年]]から[[211年]]にかけて[[ブリテン島]]の戦役、[[カラカラ]]のもとでは[[213年]][[アラマン族]]への戦いに赴いている。次に再び[[パルティア]]へ赴くが、[[217年]]第2軍団の司令官[[マクリヌス]]がカラカラの暗殺に関与、軍団は[[シリア属州]]の[[アパメア(Apamea)]]に駐在するが、そこでマクリヌスを見捨て[[ヘリオガバルス]]の側につく。ヘリオガバルスは帝位を請求し、マクリヌスを[[アンティオキアの戦い]]で敗った。その功績によりヘリオガバルスから「ピア・フィデリス・ピア・アエテルナ(Pia Fidelis Felix Aeterna - 『永遠に誠実で忠実、敬虔な軍団』の意)」の[[コグノーメン]]が贈られた。
 
<!-- ==Parthian campaign and Castra Albana (197-4th century)==
===アレクサンドロス・セウェルスとマクシミヌスの時代===
[[213年]]にはアレクサンドロス・セウェルスの麾下で[[ササン朝ペルシア]]と交戦、のちに皇帝と[[ゲルマニア属州]]に帰還。[[235年]]にアレクサンドロスが暗殺された頃には[[マインツ|モグンティアクム]]に赴任していた。その後の権力闘争では軍団は[[マクシミヌス・トラクス]]の側につくが、[[元老院]]は[[238年]]にマクシミヌスを国家の敵として断罪、[[ゴルティアヌス3世]]を皇帝として認めた。これに対してマクシミヌスは軍団を率いてローマへ進軍、その中に第2軍団パルティカもいた。この間第2軍団は司令官の価値を値踏みした結果、マクシミヌスを支持し続けるのは良くないと判断。そしてローマの元老院にたどり着く前にマクシミヌスを殺してしまう。このような一連の第2軍団の動きは[[3世紀]]のローマ軍団が行った政治的な動きの典型的な例として記憶されている。この功績に対して第2軍団は国家の敵を支持した事への恩赦が与えられ、アルバン山脈の駐屯地へ戻る事を許された。
<!-- ==Parthian campaign and Castra Albana (197-4th century)==