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[[不老不死]]および生命の再生をもたらす力を持つと信じられており{{要出典|date=2010年1月}}、[[古代]]においては遺体全体を玉で覆うことが行われた。[[秦]]の[[始皇帝]]の遺体も玉で覆われていたとされる。中南米の[[王族]]の墓でも同様の処置が確認される。[[ニュージーランド]]や[[メソアメリカ]]では[[まじない]]の道具としても使われていた(メソアメリカでは腹痛を和らげる石として使われていた)。
 
現在判明している世界最古のヒスイの加工は、現・[[日本]][[新潟県]][[糸魚川市]]において[[縄文時代]]中期(約5000年前)から始まった<ref name="IIG6527">[http://www.city.itoigawa.lg.jp/6527.htm ヒスイって何だろう](糸魚川市)</ref>。世界最古の翡翠大珠が[[山梨県]]で見つかっている<ref name="NSMculture">[http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2004/jadeite/ex/02.html 翡翠の文化史]([[国立科学博物館]]「翡翠展」 2004/11/13-2005/2/13)</ref>。[[弥生時代]]・[[古墳時代]]においても珍重され、祭祀・呪術に用いられたり、装身具や[[勾玉]]などに加工されたりした<ref name="IIG6527"/><ref name="NSMculture"/>。しかし、[[奈良時代]]以降は見向きもされないようになった<ref name="IIG6527"/><ref name="NSMculture"/>。そのため、国内産地も分からなくなり、研究者たちは国内で出土する勾玉等は国外から持ち込まれたものと考えていたが、[[1938年]](昭和13年)に糸魚川で見つかった鉱物を東北帝国大学(現・[[東北大学]])の[[河野義礼]]が鑑定し、国内産地があることが再発見された<ref name="IIG6527"/><ref>[http://www.j-times.jp/news.php?seq=10375 産出再発見の第一号、「歴史変えたヒスイ」展示 フォッサマグナミュージアム、"新たな目玉"に]([[上越タイムス]] 2015年5月25日)</ref><ref>[http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161007_13019.html{{Cite news |title=「日本の石」ヒスイ  77年前の業績に光]( |newspaper=[[河北新報]] |date=2016-10月7日)-07 |url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201610/20161007_13019.html |accessdate=2016-10-07}}</ref>。
 
日本では[[5月]]の[[誕生石]]に[[エメラルド]]とともに数えられている。宝石言葉は「長寿、健康、徳」。2016年9月には日本の[[国石]]と認定されている。[[2008年]](平成20年)[[北京オリンピック]]のメダルにも使われている。現在では翡翠は[[乳鉢]]の材料としても馴染み深い。