「ヒトラー内閣」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Sinhako (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Sinhako (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目:
{{Infobox government cabinet
| cabinet_name = ヒトラー内閣
| cabinet_number = 1
| jurisdiction = [[ナチス・ドイツ|ドイツ国]]
| flag = Flag of German Reich (1935–1945).svg
| flag_border = true
| incumbent = 1933–1945
| image = Bundesarchiv Bild 183-S33882, Adolf Hitler (cropped).jpg
| date_formed = 1933年1月30日
| date_dissolved = 1945年4月30日
| government_head = [[アドルフ・ヒトラー]]
| government_head_history = [[ドイツ国首相]]
| deputy_government_head = [[フランツ・フォン・パーペン]] (1933年1月30日 – 1934年8月7日)<br>[[ヘルマン・ゲーリング]] (1934年12月7日 - 1945年4月23日)
| state_head = [[パウル・フォン・ヒンデンブルク]] (1934年8月2日まで、[[ドイツ国大統領|大統領]])<br>[[アドルフ・ヒトラー]] (1934年-1945年、[[総統]])
| current_number =
| former_members_number =
| total_number =
| political_party = [[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]<br>[[ドイツ国家人民党]] (1933年6月27日まで)
| legislature_status = [[連立政権]] (1933年6月まで)<br>[[一党独裁制|一党独裁体制]] (1933年7月以降)
| opposition_cabinet =
| opposition_party = [[中央党 (ドイツ)|中央党]]<br>[[ドイツ社会民主党]]<br>[[ドイツ共産党]]
| opposition_leader = [[オットー・ヴェルス]]
| election = [[1932年11月ドイツ国会選挙]]
| legislature_term = 第7期[[国会 (ドイツ)|帝国議会]]
| budget =
| incoming_formation =
| outgoing_formation =
| previous = {{仮リンク|クルト・フォン・シュライヒャー内閣|de|Kabinett Schleicher|label=フォン・シュライヒャー内閣}}
| successor = {{仮リンク|ヨーゼフ・ゲッベルス内閣|de|Kabinett Goebbels|label=ゲッベルス内閣}}<br>{{仮リンク|ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク内閣|de|Kabinett Schwerin von Krosigk|label=フォン・クロージク内閣}}
}}
 
[[画像:Bundesarchiv Bild 102-15348, Reichskabinett Adolf Hitler.jpg|thumb|250px|right|1933年1月30日のヒトラー内閣の閣僚。前列左からゲーリング無任所大臣、ヒトラー首相、パーペン副首相。後列左からクロージク財務大臣、フリック内務大臣、ブロンベルク国防大臣、フーゲンベルク経済・農業食糧大臣]]
'''ヒトラー内閣'''(ヒトラーないかく)は、[[アドルフ・ヒトラー]]を[[ドイツ国首相|首相]]とする[[ドイツ]]の[[内閣]]。1933年1月30日に成立し、1945年4月30日の[[アドルフ・ヒトラーの死]]まで存続した。
4 ⟶ 35行目:
== 概要 ==
{{see also|ナチ党の権力掌握}}
[[ドイツ国大統領]][[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]は[[1933年]][[1月30日]]、ヒトラーを[[ヴァイマル憲法]]下における第15代首相に任命した。この発足時点のヒトラー内閣は、[[国家社会主義ドイツ労働者党|国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)]]と保守派・貴族の連立内閣であった。

ナチ党から入閣したのは首相ヒトラー、内務大臣[[ヴィルヘルム・フリック]]、無任所大臣[[ヘルマン・ゲーリング]]の3人のみであり、施政一般に対して、副首相[[フランツ・フォン・パーペン]]の承認がなければ大統領はこれを裁可しないとの条件が付されていた。パーペンは「われわれは彼を雇ったのさ」「わたしはヒンデンブルクに信頼されている。二ヶ月もしないうちにヒトラーは隅っこのほうに追いやられてきいきい泣いているだろう」と語り<ref>[[エヴァルト・フォン・クライスト=シュメンツィン]] ([[:en:Ewald_von_Kleist-Schmenzin|en]])「Die letzte Möglichkeit」よりの引用、トーランド、124p</ref>、内閣の実権を握るつもりでいた。当時の内閣は合議制であり、首相に突出した実権が与えられていたわけではなかった。さらに、ゲーリングは閣僚とはいっても無任所大臣にしかすぎなかったし、フリックは内務大臣とはいっても全国的な警察の指揮権限を持たない(連邦制を採っていたヴァイマル体制下のドイツでは、各州に独自の警察が置かれていた)という弱体ぶりであった。
 
ところが、パーペンは国の最重要地域であったプロイセン州(国土と人口の過半を占めるとともに首都ベルリンをその域内に収めていた)を掌握するため、自ら同州首相に就任した。この時、ヒトラーはさすがに勘所を外さず、パーペンに要求してゲーリングをプロイセン州内務大臣に就任させることに成功する。プロイセン州内務省は同州の警察を所管していたから、中央政府においては無任所大臣にすぎなかったゲーリングが国土面積の過半数を占めるプロイセン州と首都におよぶ警察組織の指揮権を手に入れたのである。ゲーリングはこの権限を行使してプロイセン州警察の首脳部をナチ党員にすげ替え、権力基盤を確固たるものとしていった。
13 ⟶ 46行目:
 
== 発足時のヒトラー内閣 ==
*[[ドイツ国首相|首相]] - [[アドルフ・ヒトラー]](ナチ党最高指導者)
*[[{{仮リンク|副首相]] (ドイツ)|de|Vizekanzler (Deutschland)|label=副首相}} - [[フランツ・フォン・パーペン]](元[[ドイツ中央党|中央党]]・元首相・男爵)
*[[外務大臣]] - [[コンスタンティン・フォン・ノイラート]](男爵・職業外交官)
*[[内務大臣]] - [[ヴィルヘルム・フリック]](ナチ党、同党国会議員団長)
*[[大蔵財務大臣]] - [[ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク]](伯爵)
*[[法務大臣]] - [[フランツ・ギュルトナー]]([[国家人民党]])
*[[国防大臣]] - [[ヴェルナー・フォン・ブロンベルク]](国防軍中将)
29 ⟶ 62行目:
*アドルフ・ヒトラー([[1933年]] - [[1945年]]、ナチ党最高指導者)
**[[1934年]]8月2日、[[ドイツ国大統領|大統領]]と首相職が統合された上で、「指導者兼首相(Führer und Reichskanzler)」であるヒトラー個人に大統領権限が委譲('''[[総統]]''')された{{sfn|南利明|<論説>指導者-国家-憲法体制の構成|p=19}}。
;{{仮リンク|副首相 (ドイツ)|de|Vizekanzler (Deutschland)|label=副首相}}
;副首相
*[[フランツ・フォン・パーペン]](1933年 - 1934年、元首相・男爵)
*[[ヘルマン・ゲーリング]](1934年 - 1945年、ナチ党)
;外務大臣
*[[コンスタンティン・フォン・ノイラート]](1933年 - [[1938年]]、男爵、後にナチ党入党)
39 ⟶ 73行目:
;財務大臣
* [[ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク]](1933年 - 1945年、伯爵、後にナチ党入党)
;大臣
*フランツ・ギュルトナー(1933年 - [[1941年]]、国家人民党、後にナチ党入党)
**大臣代行︰[[フランツ・シュレーゲルベルガー]]([[:de:Franz Schlegelberger]])(1941年 - [[1942年]]、ナチ党)
104 ⟶ 138行目:
 
== ヒトラーの遺書による内閣==
1945年、ヒトラーは自殺に先立って{{仮リンク|アドルフ・ヒトラーの遺書|en|Last will and testament of Adolf Hitler|label=遺書}}をしたため、自らの後継者として[[カール・デーニッツ|デーニッツ]][[元帥 (ドイツ)|海軍元帥]]を大統領に任命するとともに、デーニッツが率いるべき新政府の閣僚をすべて指名した。ただし、こうした内容を盛り込んだヒトラーの遺書は3通作られて総統地下壕から外部(デーニッツ宛、[[中央軍集団]]司令官[[フェルディナント・シェルナー]]元帥宛、ミュンヘンのナチ党文書館宛)に送られたものの、いずれも移送中に隠匿されてしまい、全文が知られるには終戦後の調査を待たなければならなかった。したが

って、この遺書の中で当時に公表され、一応は任命が発効したといえるのは、ベルリンの[[総統官邸]][[総統地下壕|地下壕]]にいたゲッベルスとナチ党官房長[[マルティン・ボルマン]]がデーニッツに電報で知らせた部分、すなわち大統領デーニッツ、首相ゲッベルス、ナチ党担当大臣ボルマン、外務大臣ザイス=インクヴァルトの4名だけであった。さらに、大統領となったデーニッツはヒトラーの遺言による閣僚指名を黙殺し、自らの内閣として[[フレンスブルク政府]]を組織した。
 
※( )内は任命当時の職
*大統領兼国防軍最高司令官兼海軍総司令官 - [[カール・デーニッツ]][[元帥 (ドイツ)|海軍元帥]](海軍総司令官)
*首相 - [[ヨーゼフ・ゲッベルス]](国民啓蒙宣伝大臣、ベルリン[[大管区 (ナチ党)|大管区]]指導者、総力戦全国指導者、ベルリン防衛総監)
*ナチ党担当大臣 - [[マルティン・ボルマン]](ナチ党官房長)
*外務大臣 - [[アルトゥル・ザイス=インクヴァルト]](無任所大臣・オランダ[[帝国弁務官]])