「ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
INeverCry によってCommonsから削除された 106_Aurelianus.jpg を除去。理由: No source since 24 August 2016.
記事の整理
1行目:
{{redirect|アウレリアヌス}}
{{複数の問題
| 出典の明記 = 2016年10月
| 脚注の不足 = 2016年10月
}}
{{基礎情報 君主
| 人名 = ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス
58 ⟶ 62行目:
 
[[275年]]、[[シャープール1世]]が没した直後の[[サーサーン朝]]へ遠征に向かう途中、アウレリアヌスは秘書官の一人(ゾシムスによると'''エロス'''(Eros)なる人物)を叱責した。これに身の危険を感じた秘書官は謀略を仕組み、アウレリアヌスは自軍の将軍([[エドワード・ギボン]]によると'''ムカポル'''(Mucapor)なる人物)に暗殺された(なお、後になって秘書官の謀略が露見し、秘書官は処刑された)。アウレリアヌスの突然の死は帝国に大きな衝撃を与え、[[マルクス・クラウディウス・タキトゥス]]が即位するまで数ヶ月にわたって皇帝不在の時期が生じたとされる。しかし近年の史料分析により、皇帝不在の空白期は長く見積もっても2か月に満たないことがわかっている。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
{{脚注の不足|date=2016年10月|section=1}}
*[[エドワード・ギボン]]『[[ローマ帝国衰亡史]]』[[中野好夫]]訳、[[ちくま学芸文庫]]。
*クリス・スカー『ローマ皇帝歴代誌』[[青柳正規]]監修、月村澄枝訳、[[創元社]]、1998年、300頁。
 
== 関連項目 ==
*[[軍人皇帝時代]]
 
{{commonscat|Aurelianus}}