「アムピロコス」の版間の差分

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アムピロコスもまた卓越した予言者で、[[キリキア]]のマロス(現在のトルコ南東部、ピュラモス川の河口付近)などに神託所を立てた。また、[[モプソス]]と共に、[[リュディア]]のコロポンに[[アポロン]]の神殿を建てた。[[ヘロドトス]]によると、さらに山を越え、キリキアと[[シリア]]の中程に[[ポセイドン]]の神殿を建てたという。
 
彼はまた、[[ヘレネー]]の求婚者の一人であったという説もある。[[トゥキディデス]]によると、彼は[[トロイア戦争]]から帰還後、[[アルゴス]]のことは気にかけず、彼の名をとった「アムピロキア」という町をギリシア北西のアムブラキア湾に建設した。その時はまだギリシアの文化圏にはなかった地であるが、後にアムブラキア人たちによりギリシア文化が取り入れられた。その他の説では、彼はトロイア戦争後、アポローンに殺されたとか、モプソスと[[一騎]]の末相打ちになり共に死んだとか言われる。しかしこれは、彼と同名の甥のアムピロコスの話であるとも言われる。
 
{{エンデュミオーンの系図}}