「ルイス・ウォルター・アルヴァレズ」の版間の差分

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'''ルイス・ウォルター・アルヴァレズ'''('''Luis Walter Alvarez''' [ˈluɪs ˈwɔ:ltər ˈælvərɛz], [[1911年]][[6月13日]]・[[サンフランシスコ]] - [[1988年]][[9月1日]])はアメリカの[[物理学者]]、[[ノーベル物理学賞]]受賞者である。専門分野以外で[[恐竜]]の[[隕石]]衝突による絶滅説を提出したことでも有名である。
 
祖父は[[スペイン]]出身の医学者、{{仮リンク|ルイス・フェルナンデス・アルバレス|en|Luis F. Álvarez}}。
== 人物 ==
[[サンフランシスコ]]出身。[[1936年]]に[[シカゴ大学]]で[[Doctor of Philosophy|Ph.D.]]を取得したのち、[[アーネスト・ローレンス]]のもとで放射線研究所(現在の[[ローレンス・バークレー国立研究所]])に勤務。[[電子捕獲]]の研究を行う。
1968年、水素泡箱の利用による共鳴状態の発見など、[[素粒子物理学]]への貢献によりノーベル物理学賞を受賞した。
 
1943年から1944年には[[マンハッタン計画]]に参加し、[[シカゴ大学]]と[[ロスアラモス研究所]]で[[原子爆弾]]の[[爆縮レンズ]]に使用する[[起爆電橋線型雷管]]を開発した。
 
[[1945年]][[8月6日]]の[[広島市への原子爆弾投下]]の際には観測機B-29[[グレート・アーティスト]]に搭乗し、人類初の実戦での核兵器使用を目撃している。また、続く[[8月9日]]の[[長崎市への原子爆弾投下]]の際にも、観測機B-29グレート・アーティストに搭乗している。長崎市上空で観測のために投下した[[ラジオゾンデ]]に、[[カリフォルニア大学]]の放射線研究所において同僚であり、当時の[[東京大学|東京帝国大学]]教授[[嵯峨根遼吉]]に宛て、核兵器の威力についてよく理解する物理学者である嵯峨根が、日本国政府に降伏の働きかけをするように勧める手紙を同封していた<ref>しかしこの手紙が嵯峨根博士に渡ったのは終戦後の9月になってからであった。 *檜山良昭の閑散余録 [http://www.slownet.ne.jp/sns/area/culture/reading/kansanyoroku/200708090922-9592430.html 「第141回 原爆投下秘話 一通の手紙」] (2007年8月9日 手紙の写真あり) *[http://www.riken.jp/r-world/info/release/riken88/text/no09.html 嵯峨根教授に宛てた手紙についての記述(理化学研究所)]</ref>。
 
1968年、[[水素]][[泡箱]]の利用による共鳴状態の発見など、[[素粒子物理学]]への貢献によりノーベル物理学賞を受賞した。
 
1980年、地質学者である息子の[[ウォルター・アルバレス|ウォルター]]と[[白亜紀]]から[[第三紀]]の[[K-T境界|境界]]の粘土層に含まれる[[イリジウム]]の濃度が高いことを見出し、[[隕石]]衝突による[[大量絶滅]]の説を発表した。1987年、[[エンリコ・フェルミ賞]]受賞。
 
その他[[宇宙線]]と放電箱による[[ピラミッド]]の透視や、[[ケネディ大統領暗殺事件|ジョン・F・ケネディ暗殺事件]]についての見解など、広い範囲の分野に好奇心をしめした。
 
[[1988年]]に癌のためバークレーで死去し、遺灰は[[モントレー湾]]に[[散骨]]された。
==脚注==
{{Reflist}}
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[[Category:ロスアラモス国立研究所の人物]]
[[Category:ローレンス・バークレー国立研究所の人物]]
[[Category:広島と長崎への原子爆弾投下]]
[[Category:サンフランシスコ出身の人物]]
[[Category:スペイン系アメリカ人]]
[[Category:1911年生]]
[[Category:1988年没]]