「加藤紘一」の版間の差分
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[[2009年]]1月の地元で行われた山形県知事選挙では現職の[[齋藤弘]]を支援したが、斎藤は[[岸宏一]]と[[舟山康江]]が支援した対立候補・[[吉村美栄子]]に1万票の差を付けられ落選した。9月の[[第45回衆議院議員総選挙]]では全国的に自民党に逆風が吹き荒れる中、小選挙区で13回目の当選を果たした。
[[2012年]]12月の[[第46回衆議院議員総選挙]]に際しては、自民党執行部と同党山形県連が加藤を継続公認したことに対し、[[山形県選挙区]]選出の同党[[参議院議員]]である[[岸宏一]]が反発、前[[酒田市|酒田市長]]の[[阿部寿一]]を擁立したため、自民党系候補者同士による分裂選挙となった。反自民党勢力をも糾合した阿部に対し、選挙活動中も言語および歩行障害がみられた加藤は十分な支持を得られず接戦の末に敗れた。さらに、同党の比例代表では73歳以上の立候補は原則認められないため、[[比例東北ブロック]]との[[重複立候補]]をしておらず、議席を失った<ref name=kyodo>「[http://www.47news.jp/CN/201212/CN2012121601002121.html 47NEWS 加藤紘一氏が山形3区で落選 健康不安説払拭できず]」 『共同通信』 2012年12月17日</ref>。なお、東北ブロックの小選挙区から立候補した自民党候補者の中では加藤以外全員が小選挙区ないし比例代表で当選しており、加藤は[[東北地方]]で唯一落選した、自民党選挙区候補者となった。
=== 政界引退後 ===
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