「第二次ポエニ戦争」の版間の差分

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== ローマ軍反撃 ==
=== ヒスパニア争奪戦 ===
ハンニバルの本領といえるヒスパニアには、[[紀元前218年]]に[[グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス]]の率いる軍団が派遣されていた。続いて弟の[[プブリウス・コルネリウス・スキピオ]]の軍団も送り込まれ、増強したローマ軍は半島東岸から徐々に勢力を拡大し、[[紀元前211年]]には開戦原因となった[[サグントゥム]]を制圧した。ローマ軍の脅威によって、[[ハスドルバル#ハスドルバル・バルカ|ハスドルバル]]はイタリアのハンニバルへ援軍を派遣できなくなった。同年、ローマ軍は二年に亘る包囲戦の末に[[カプア]](]]カプア包囲戦]])、[[シラクサ]]を制圧([[シュラクサイ包囲戦 (紀元前214年-紀元前212年)|シラクさ包囲戦]])。シラクサ陥落時に司令官マルケッルスの命に反して、高名な数学者の[[アルキメデス]]がローマ兵によって殺された。
 
ハスドルバルは状況の変化を待っていた。弟の[[マゴ#マゴ・バルカ|マゴ]]がカルタゴ本国から率いてきた増援を合わせて戦力を整えつつ、ローマ軍内のヒスパニア兵が脱走するように仕向けた。ハスドルバルは好機を選んで反攻に移り、[[バエティス川の戦い]]でローマ軍を破ってコルネリウス兄弟を戦死させた。ただし、ローマ軍の戦力自体はいまだ侮れないものであったため、ハスドルバルはむやみに攻撃を仕掛けることを控え、軍を三分して着実に領土を奪還していった。