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特に朱家は名が通り、普段は腰が低く貧しい身なりや1日の食事は一汁一菜という貧しい生活をしていた。人を匿い助けること数百を超え、また貧しき者から助けていたために人気が高く、朱家のためなら命を惜しまぬ者も多数いたという。だが朱家自身、人を助けたからと言って礼を言われることを嫌っていたため、逆に礼をする者はいなかったという。
 
[[楚漢戦争]]ののち、その朱家を知る[[濮陽市|濮陽]]の周氏が、[[季布]]を匿ってほしいと伝えてきた。季布は[[項籍|項羽]]配下の武将で、その任侠を知られた人物だったが、[[劉邦]]によって千金の賞金がかけられており、季布を匿った者は三族処刑すると布告されていた。周氏は朱家に身なりのやつれた奴隷を譲り渡したが、朱家はその奴隷が季布であることを察し、丁重に扱った。
 
朱家は次に任侠に厚い劉邦の側近である[[夏侯嬰]]と面会した。朱家は夏侯嬰に対し「季布は項羽の命に従って劉邦の軍勢を追い回しただけなのに、賞金首にするのであれば、項羽の部下全員皆殺しにしなければならないでしょう。私怨で季布を追い回すのを止め、すぐに放すべきだ」と説いた。