「浦野烋興」の版間の差分

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== 小選挙区制の下で ==
* [[1994年]]の[[選挙]]制度改革によって衆議院議員選挙に[[小選挙区制]]が導入されると、これまで比較的楽な選挙を戦ってきた浦野を取り巻く状況は一変する。[[中選挙区制]]下の旧愛知4区の区割りが変更され、浦野の選挙区はトヨタ関連企業に勤務する有権者が多い[[愛知県第11区|愛知11区]]となり、[[新進党]]に移った伊藤英成との[[一騎]]に臨むことになったのである。迎えた[[1996年]][[第41回衆議院議員総選挙]]では8万5千票と得票が伸びず、全トヨタ労連の[[組織票]]に支えられた伊藤に3万7千票の差をつけられて大敗。[[惜敗率]]69.5%となり、[[比例代表]]復活当選もならなかった。浦野は政界引退を表明したものの、年齢が若かったため自民党や後援会から慰留された。
* 豊田市幹部からも「豊田市には全トヨタ労連の議員と自民党の議員の二議席が必要」と国政復帰を求める声が上がった。
* [[1998年]]、[[第18回参議院議員通常選挙]]に出馬を要請され[[愛知県選挙区]]から自民党公認で立候補。しかし自民党苦戦の流れの中、愛知県選挙区のもう一人の自民党公認候補で現職の[[大木浩]]と共倒れ落選。議席を獲得できず、政界引退を表明した。