「朽木元綱」の版間の差分

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[[天正]]18年([[1590年]])、秀吉より[[豊臣氏|豊臣姓]]を下賜された<ref>村川浩平『日本近世武家政権論』(近代文芸社、2000年、37頁)</ref>。
 
[[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では、当初は[[大谷吉継]]に従って西軍に属したものの、[[小早川秀秋]]に呼応して[[脇坂安治]]や[[小川祐忠]]、[[赤座直保]]らと共に東軍に寝返った。戦後、通款を明らかにしなかったとの理由により減封(9,590石)された。なお元綱は関ヶ原の戦いには参戦していなかったのではないかとする指摘もある<ref>[[白峰旬]]『関ヶ原合戦の真実―脚色された天下分け目の戦い―』(宮帯出版社、2014年、82-83頁)</ref>。
 
[[元和 (日本)|元和]]2年([[1616年]])に剃髪し、牧斎と号した。寛永9年(1632年)、朽木谷において死去。[[享年]]84。