「東京音頭」の版間の差分

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[[1933年]]、当時の東京市民すべてが歌えるように改題・改詞され、[[小唄勝太郎]]と[[三島一声]]の歌唱でレコード化され、卑猥さを連想させる歌詞もあって爆発的に流行した。勝太郎の一連のヒット曲に多いハァー(ハー小唄)の歌いだしの、勝太郎の力強い、景気のよい歌声は日本中に響き渡った。レコードの売り上げは発売当時だけで120万枚<ref>1952年時点、ビクター発表。[[丘灯至夫|丘十四夫]]『歌暦五十年』全音楽譜出版社、1954年。</ref><ref>NHK「クイズ日本人の質問」グループ『NHKテレビ クイズ 日本人の質問 3』NHK出版、1996年、181頁。ISBN 4140160845</ref>に達したという。勝太郎にとって、「[[島の娘]]」「[[明日はお立ちか]]」「[[さくら音頭]]」「大島おけさ」「勝太郎子守唄」などと並ぶ代表曲となった。
 
後年、勝太郎が[[テイチクエンタテインメント|テイチク]]に移籍してからは、かつて勝太郎と犬猿の仲といわれた[[市丸]][[喜久丸]][[鈴木正夫]]によって再吹き込みされた。夜通し続いたことで、西條や中山も眠れずに困ったこともあった<ref>塩澤実信『昭和のすたるじい 流行歌』第三文明社、1991年、55頁</ref>ほどだったという。また、同じ年に流行した[[ヨーヨー]]とともに紹介されることも多い。
 
その後も時代を越えたロングヒットとなり、総売上枚数は正確には不明であるが、1971年の段階で発売当時の20倍以上、枚数にして2000万枚以上を売り上げているともいわれる<ref>紀田順一郎、間羊太郎『記録の百科事典 日本一編』竹内書店、1971年、198頁</ref>。