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肥沃な土地に面し穀物などが豊富に取れ、鉱物資源も豊かであり結果的に、ポントス王国は強大な国家へと変化していく。
 
ファルナケス1世の頃近隣諸国に進出し、[[スィ]]を占領し、以後この都市が王国の首都となったが、同じヘレニズム系の国家であった[[アンティゴノス朝マケドニア]]や[[アッタロス朝|アッタロス朝ペルガモン王国]]が[[共和政ローマ]]へ併合され、[[セレウコス朝]]や[[プトレマイオス朝]]が衰退する中で、ポントス王国もローマの圧力に直面することとなった。
 
紀元前120年に即位した[[ミトリダテス6世]]は、[[コルキス]]や[[ボスポロス王国]]を服属させ、[[スキタイ]]人を破って黒海沿岸を制覇した。更にローマの属国であった[[ビテュニア]]や[[カッパドキア]]への侵略に及んだことから、ローマはこれを口実としてミトリダテスと戦争状態に突入した。紀元前88年から3次にわたる[[ミトリダテス戦争]]でポントス王国は敗北を喫した。[[紀元前63年]]にミトリダテスの息子[[ファルナケス2世|ファルナケス]]がミトリダテスを自殺に追い込み、ローマに降伏したことでミトリダテス戦争は終結した。ローマ軍の司令官[[グナエウス・ポンペイウス]]はファルナケスを後継のポントス王に任命した。