「セリム3世」の版間の差分

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===暗殺===
しかし、セリム3世の退位によって[[イスタンブル]]から退避したセリム3世派の人々は、ブルガリア北部のルーセを支配する[[アーヤーン]](地方名士)・[[アレムダル・ムスタファ・パシャ]]を頼っていた。彼らの要請を受け入れたアレムダルはセリム3世の復位を掲げて挙兵し、[[1808年]]7月にイスタンブルに迫った。
 
ムスタファ4世はセリム3世の復位によって自身の帝位や命が脅かされることを怖れ、幽閉中のセリム3世を殺害させた。